チャールズ・スポルジョン『朝ごとに』2024年4月8日

27民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
28イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
29人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
30そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、
丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。
31『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」

"If they do these things in a green tree, what shall be done in the dry?"Luke 23:31
「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」(ルカ23:31)


Among other interpretations of this suggestive question, the following is full of teaching:
"If the innocent substitute for sinners, suffer thus, what will be done when the sinner himself—the dry tree—shall fall into the hands of an angry God?"
この示唆に富む問いに対するいくつかの解釈の中で、次のような教訓に満ちたものがある:
「罪人の身代わりである罪なき者がこのように苦しむなら、罪人自身(枯れ木)が怒れる神の手に落ちるとき、何がなされるであろうか?」

When God saw Jesus in the sinner's place, he did not spare him;
and when he finds the unregenerate without Christ, he will not spare them.
神はイエスが罪人の立場にいるのを御覧になったとき、イエスを惜しまれなかった;
同じく、キリスト無しに生きる未回心者を見出された時も、神は彼らを惜しまない。

O sinner, Jesus was led away by his enemies:
so shall you be dragged away by fiends to the place appointed for you.
おお罪人よ、イエスは敵に連れ去られた:
だから、あなたがたも、悪魔に引きずられて、あなたがたのために定められた場所に行くのだ。

Jesus was deserted of God;
and if he, who was only imputedly a sinner, was deserted, how much more shall you be?
イエスは神から見捨てられた。
(本来罪人ではないが仕方なく)罪人であるとされた彼が見捨てられたのなら、あなたはなおさらではないか?

"Eloi, Eloi, lama sabachthani?" what an awful shriek!
「わが神、わが神、なぜ私を見捨てるのか」なんとひどい悲鳴だろうか!

But what shall be your cry when you shall say
"O God! O God! why hast thou forsaken me?"
しかし、あなたがこう言うとき、あなたどれほど叫ぶだろうか?
「おお神よ、神よ、何故私をお見捨てになるのですか?」

and the answer shall come back,
"Because ye have set at nought all my counsel, and would none of my reproof:
I also will laugh at your calamity;
I will mock when your fear cometh."
すると、その答えが返ってくる、
「お前たちは、わたしの忠告をことごとく無にし、
わたしの戒めを聞こうともしなかったからだ:
わたしはまた、災いのなかにあるお前たちを笑う;
わたしはまた、あなたがたの災難を笑う。
お前を恐怖が襲う時、私はあざ笑うのだ」

If God spared not his own Son, how much less will he spare you!
神が御子を惜しまれないのなら、あなたがたを惜しむなんて有り得ない。

What whips of burning wire will be yours when conscience shall smite you with all its terrors.
良心の呵責に苛まれるとき、灼熱の鞭がおまえを襲うだろう。

Ye richest, ye merriest, ye most self-righteous sinners—who would stand in your place when God shall say,
"Awake, O sword, against the man that rejected me; smite him, and let him feel the smart forever"?
最も裕福で、最も陽気で、最も独善的な罪人であるお前たちよ―
神がこう言われるとき、誰があなたの代わりに立つだろうか。
「目覚めよ、剣よ、私を拒んだ者に向かって;
彼を打ち砕き、永遠の痛みを味わわせよ。」

Jesus was spit upon:
sinner, what shame will be yours!
イエスは唾を吐かれた:
罪人よ、おまえはどんなに辱めを受けるだろう!

We cannot sum up in one word all the mass of sorrows which met upon the head of Jesus who died for us;
therefore it is impossible for us to tell you what streams, what oceans of grief must roll over your spirit if you die as you now are.
私たちのために死んでくださったイエスの頭に降りかかった悲しみの塊を、私たちは一言の中にすべて要約することはできない;
それゆえ、もしあなたが今のまま死んでしまったら、どんな悲しみの流れが、どんな大海が、あなたの精神に押し寄せることになるのか、私たちがあなたに語ることは不可能なのだ。

You may die so, you may die now.
あなたは死ぬかもしれない、それも今。

By the agonies of Christ, by his wounds and by his blood, do not bring upon yourselves the wrath to come!
キリストの苦しみによって、キリストの傷によって、キリストの血によって、
来るべき怒りを自分の上にもたらすことが無いようにしなさい。

Trust in the Son of God, and you shall never die.
神の子に信頼せよ、そうすれば決して死ぬことはない。




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