メモ(たとえ贋札だとしても)
◎自分が僧侶だった時、先輩から聞いて今でも忘れられない言葉。
「現在贋札が流通しているなら、元々それとよく似た真札も流通していたということだ」
これだけだと訳が分からないが、全体としては確かこういう話だった。
◎「現代に遺っている経典は釈尊が実際に説いた教えとは概ね一致していないし、現在広く知られている高僧の伝記も多くは死後の後付けなのだから、例えは悪いがそれらは贋札である。
そして、真札が遠い昔に使われなくなり、みんな贋札を使って生活しているのが今の日本の仏教である。」
◎「だが常識的に考えて、ある日突然真札と贋札が丸ごと入れ替わるなんてことは有り得ない。
つまり真札と贋札が並行して流通していた時期があり、次第に真札が廃れていったということ。
そしてこういう現象は、
【大多数の人間にとって、贋札が真札と見分けがつかないほど似ていた】
【大多数の人間にとって、贋札が真札よりも使い勝手が良かった(真札だけでは生活や商売が出来なかった)】
という条件が揃わないと成り立たない」
◎「"日本仏教は贋物だらけだ"と言うことは簡単だし、その主張自体は間違いではない。
でもそれよりも、
"この贋札と見分けがつかない(つきにくい)ほど似ていた真札は、どんな物だったのか"
"真札に何らかの欠点や不都合があり、それを贋札が補えたからこそ、真札が廃れ贋札が残ったのではないか。じゃあそれは具体的に何だったのか"
ということを考える方が、遥かに有意義ではないか」
◎この言葉は僕にとって目から鱗だった。
自分が務めていた東本願寺では、宗祖親鸞の命日に勤まる「報恩講」が一年で最大の行事であり、その際には親鸞の曾孫・覚如が著した伝記『御伝鈔』を拝読したり、その内容を絵にした掛け軸を基に親鸞の生涯と教えを語る「絵解き」ということが行われていた。
しかし今日では『御伝鈔』の史実性は疑問視されており(そもそも親鸞は公的な記録が乏しく、大正時代に『親鸞は架空の人物』だという学説が真面目に語られた程だ)、覚如という人自体「神道や国家権力と結託し、本願寺の権威を高めるために親鸞の教えを歪めた」と、頗る評判が悪い。
だから絵解きをしながら「どうせ本当か分からないのに、こんなこと話して意味があるのか」と悩む時期があった。
◎それでも僕は先輩の言葉をきっかけに、「現在伝わる親鸞の教えも伝記も眉唾物だ」と割り切りつつも、「じゃあ何故今ある形で伝わってきたのだろうか。先人たちはこの書物に何を求め、どんな救いを見出だしたのだろうか。それは親鸞や釈尊が求め見出だした事と、どこが同じでどこが違うのだろうか」という事を考えながら向き合うようになった。
そして今でも「聖書は私たちにどんな救いを提示するのか」と同時に「私たちはどんな救いを求めているのか」「先人たちはどんな救いとして受け止めたのか」という視点で聖書を読むようにしている。
◎何でこんな話をしているかと言うと、先日図書館で田川建三の「新約聖書・訳と注」を借りて読んだ。
ハッキリ言って読むのが苦痛だった。
「いわゆる【キリスト教会】への罵詈雑言に満ちていて、その構成員である僕は甚だ胸糞悪くなった」という事情を差し引いても、なお残る大きな違和感。
「この違和感の招待は何だろう」と考えていた時に思い出したのが、冒頭の先輩の言葉だった。
◎僕には田川氏が
「新約聖書の著者たちは実在のイエスとは似ても似付かない贋札を作り、更に現代まで教会の御用学者たちは贋札の下手糞なスケッチをバラまいている!通説的な聖書の読み方を徹底して疑って掛からなければ、イエスの真の姿は見えてこない!」
と言っているように読める。
それに対して「えー、本当にそうかなぁ?」と思う自分が居るのだ。
◎僕は2000年前にギリシャ語で書かれた聖書が贋札だとは思わないが、これを贋札だと主張する人が居ても、まあおかしくないだろう。
ましてそれが2000年間に異なる言語や文化に訳される過程で、贋札が生まれるということはあるだろう。
だがもしそうだとしても、その贋札が本来の真札とは似ても似付かない、全く顧みる価値のない代物だとは僕には思えない。
田川氏の著作を全部読んだ訳ではないので断定は避けるべきだろうが、氏のような長年聖書研究に携わってきた人物が、もしその生涯と学識を「聖書なんて真実のイエスとは似ても似付かない紛い物だ!」ということを主張するためだけに費やしてきたのなら、甚だ勿体ないと僕は思った。