チャールズ・スポルジョン『朝ごとに』2024年3月29日
"Though he were a Son, yet learned he obedience by the things which he suffered." Hebrews 5:8
「キリストは御子であったのに、彼を苦しめた色々な事を通じて、従順であることを学んだ。」
(ヘブライ5:8)
We are told that the Captain of our salvation was made perfect through suffering,
therefore we who are sinful, and who are far from being perfect, must not wonder if we are called to pass through suffering too.
私たちの救いの主は、苦しみを通して完全な者とされたと言われている。
それゆえ、罪深く、完全な者にはほど遠い私たちも、「苦しみの中を通過するために召されている」という事を疑ってはならない。
Shall the head be crowned with thorns, and shall the other members of the body be rocked upon the dainty lap of ease?
頭に茨の冠を被せながら、体の他の部分は優しい揺りかごに揺さぶさぶられる-
そんな事があって良いだろうか?
Must Christ pass through seas of his own blood to win the crown, and are we to walk to heaven dryshod in silver slippers?
キリストは王冠を勝ち取るために自らの血の海を渡らなければならなかったのに、私たちは銀のスリッパを履いて乾いた足で天国まで歩こうと言うのか?
No, our Master's experience teaches us that suffering is necessary, and the true-born child of God must not, would not, escape it if he might.
いや、私たちの主の経験は、「苦しみは必要なものであること」、また「真に神の子として生まれた者は、たとえ苦しみから逃れることができたとしても、そこから逃れてはならないし、逃れようとはしないはずだ」ということを教えている。
But there is one very comforting thought in the fact of Christ's "being made perfect through suffering"—it is, that he can have complete sympathy with us.
しかし、キリストが「苦しみによって完全な者とされた」という事実には、一つの非常に慰めになる教えがある。
それは、「キリストが私たちに完全に共感してくださる」ということである。
"He is not an high priest that cannot be touched with the feeling of our infirmities."
「彼は、私たちの弱さに共感できない大祭司ではありません。」
In this sympathy of Christ we find a sustaining power.
このキリストの共感の中に、私たちは自分を支える力を見出す。
One of the early martyrs said,
"I can bear it all, for Jesus suffered, and he suffers in me now;
he sympathizes with me, and this makes me strong."
ある古代の殉教者は言った。
「私はすべてに耐えることができます。なぜならイエスは苦しまれ、今も私の中で苦しんでおられるからです。
イエスは私に同情してくださり、それが私を強くしてくれます。」
Believer, lay hold of this thought in all times of agony.
信者よ、苦悩の時は常にこの考えを心に留めなさい。
Let the thought of Jesus strengthen you as you follow in his steps.
イエスの足跡に従うに連れて、イエスへの思いがあなたを強くする。
Find a sweet support in his sympathy;
and remember that, to suffer is an honourable thing—to suffer for Christ is glory.
彼の同情に心強い支えを見出しなさい。
そして、いつも覚えていて欲しい
-苦しむことは名誉なことであり、特にキリストのために苦しむのは栄光であるということを。
The apostles rejoiced that they were counted worthy to do this.
使徒たちは、自分たちの艱難が誉れに値すると認められたことを喜んだ。
Just so far as the Lord shall give us grace to suffer for Christ, to suffer with Christ, just so far does he honour us.
主が私たちにキリストのために苦しみ、キリストとともに苦しむ恵みを与えてくださる限りにおいて、主は私たちに栄誉を与えてくださる。
The jewels of a Christian are his afflictions.
クリスチャンにとっての宝は、彼の苦悩である。
The regalia of the kings whom God hath anointed are their troubles, their sorrows, and their griefs.
神に油を注がれた王たちのレガリアは、彼らの悩み、悲しみ、そして嘆きだ。
Let us not, therefore, shun being honoured.
Let us not turn aside from being exalted.
それゆえ、神から誉れを受けることを避けてはならない。
高められることから目を背けてはならない。
Griefs exalt us, and troubles lift us up.
"If we suffer, we shall also reign with him."
悲しみは私たちを鼓舞し、悩みは私たちを高揚させる。
「もし私たちが悲しむなら、同時にキリストと共に統治するようになる。」