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自分の死を考える

詩篇 90:12     2025 01 14 (火) 
どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに 知恵の心を得させてください。

他人の死を自分ごととして考えるのは難しいことです。江戸時代の文人であった大田南畝は『今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん』と詠みました。ですから自分が死を迎えるとしたら、死について考える余裕もないでしょう。「人間、死ぬ時が来たら、死ぬことしかできない」と言われます。ですから聖書は元気なうちに、「自分の (残りの) 日を数える」ことが知恵だと言っています。

旧約聖書 伝道者の書 7:2 にはこうあります。「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」つまりお葬式に出たら、その人の死を他人事ではなく自分事として考える良いチャンスであるということです。人間は死んでも無になることはなく、神の前の被告席に立って人生の申し開きをすることになります (生前信仰によって神に赦された人はここに居ませんが)。そのことを受け入れて、生きているうちに神に罪を言い表し、赦していただきましょう。内面は雪よりも白くされ、青天白日な心で生涯を歩めます。死の恐れは消え去り、天国に入れる希望で困難を乗り越えられます。これこそ最も重要な終活ではないでしょうか。

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