千年の祝福
コリント第二 5:17 2025 01 01 (水)
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
元旦———この言葉の響きに特別の感慨を覚える人は少なくなっているかもしれません。冷めた目で見れば、元旦は大みそかの翌日であり、生活としてそこに断絶があるわけではないでしょう。年が改まったからと言って、空が黄色に変わるわけではありませんし、そこにはありきたりの日々の連続があるだけです。日本の暦の感覚は一年の循環が終わると次の年の循環に受け継がれ、六十年経つと還暦で終わります (昔は六十歳まで生きる人が少なかったせいもあるでしょう)。
ところが聖書の暦は天地創造から新天新地まで一直線です。ちなみにユダヤ暦では今年は5786年です。創世記の記述から算出するとこのようになります(宇宙の歴史は約六千年!)。われわれ日本人は忘年会と称して一年の嫌なこと、恥、失敗、厄などを流し、新年会と称して何もなかったことにします。けれども聖書は日本人の感覚に反して一年ごとに精算されるのではなく、一生の終わりに精算の時を迎えるということです(信者は表彰され報酬を受けますが、不信者は罪に定められます)。
私たちは目に見えるものを追いかけて生きていますが、それが誰かに自分を与えていることに対しては、逐一神さまが報酬リストに書き込んでくださいます。現在の生き方が後の世に来たる神の国での奉仕の内容に影響するということです。いわゆる天国はイエスさまが直接支配する千年王国のことであり、すべてのクリスチャンはそこへ平等に入れます。しかし職務の内容は入国の時に決まって千年間変わりません。今の生活が千年間の生活に影響するのと悟ったら、クリスチャンライフに励みが出てくるのではないでしょうか。元旦を千年ライフのスタートとして歩み出そうではありませんか。