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外見の寿命
箴言 31:30 2025 02 13 (木)
麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。
すべての中高年には、若い時の輝きがあったはずです。昔の写真を引っ張り出してくると、一目瞭然でしょう。また今の若い人も、数十年経てば自分の親のようになることは避けられません。「花の色は移りにけりないたずに」というわけです。この世の流れに身を任せるならば、老けゆくこの身を嘆くばかりでしょう。世の中は外見がすべてであるかのように称賛しますが、中身を問うことは少ないようです。「綺麗ですね」と言われて (容姿を褒めることはセクハラになりかねませんが)、喜ぶ人もいれば、「え? 私の中身のことはどうでもいいの?」と気を悪くする成熟した人もいるでしょう。容姿に気をつけることはマナーですが、過度に人と比べるのは病的です。
けれどもこの人の若かりし頃はどのようだったのだろうと想像するなら見方は少し変わるでしょう。なぜなら聖書は「麗しさは偽り。美しさは空しい。」と言っているからです。別の訳では「あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである。」。道具なら修理をして新品同様に変えられますが、人間のからだは絶対に若返りません。つまり死に向かって静かに着実に進行しているのです。しかし良いこともあります。「内なる人な日毎に新しくられてゆく」からです(コリント第二4:16)。私たちは人の外見のことはよくわかりますが、内面がどうなっているかはわかりません。目に見えない聖書というX線でスキャンすると、外側は毎日衰えても、内なる人、すなわちキリストと歩む人は毎日若くなって、最期は天国で永遠の若さを得られると聖書は約束しています。
今日の箇所は、箴言という言わば格言集の最後に、敬虔な女性の祝福について書かれています (古代の文書に女性を称賛する記述は大変珍しい)。外見がどうのとか、財産がどうのとか、能力がどうのとかは神さまは眼中になく、神 (聖書) に従って身近な人々を祝福してきるかどうかに目を凝らしているようです。自分のためだけに生きることは虚しさをもたらします。しかし神と人のために自分を使うなら、生きがいが生まれるでしょう。