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1981年生まれが過ごした2020年

2020年はひとりだった。

もともとひとりの時間が好きで、ひとりでなんでもできてしまう私だが、こんなに物理的なひとりを味わうのは初めてだった。

在宅勤務になって仕事も家でひとり。ランチもひとり。夜もひとり。

特に緊急事態宣言中は本当に静かな時間が流れた。
出かけるのは週に一度、スーパーのみ。
運動がてら散歩しても、行き交う人の顔はマスクに包まれて、人とすれ違っている感じがしない。
テレビは連日、感染者数のニュース。現状を知ることは必要だと思うけど、いささか食傷気味になり、チャンネルを変えたり、切ってみたり。
それについて思ったことを話す相手もいない。

そんな毎日は、実は、思ったよりも平気だった。
心がひとりなのに慣れているからだろうか。
精神的なひとりに物理的なひとりが加わると、しんとするのだとわかった。

もちろん家族がいたら、毎日の食事も、家にいる休日も、きっとそこそこ慌ただしく楽しく過ぎていくのだろう。
でもそう思うと同時に、もし自分が離婚していなかったら、あの状態でこの状況を迎えたらどれほどつらかったかを思うと、ほっとする部分があるのも事実だった。

まわりの人の、今まで見えなかった一面が見えた一年でもあった。

人の価値観がさまざまだというのは頭ではわかっているが、かなり仲のいい友人のひとりが、高熱と味覚障害の症状が出ているときに普通に出勤していたことにも驚いたし、在宅勤務が始まった途端、すごく連絡がつきにくくなった同僚もいた。

そういったことを私は否定する立場でもないが、こういう非常事態のときこそ、人って我が出るんだなと思った。
普段ならそこまで気にならなかったことも、相手が遠慮なく思うままに行動するとびっくりしてしまう。本当はそういう人だったんだ、と。

いざというとき、どれだけ自分以外の人のことを考えられるかというのが人としての真価かなと思うけど、それはきれいごとだと言われたら、言い返す言葉はすぐには出てこない。
でもそういう人でありたいと、私は思う。
そういう人が損する世の中だとわかっていても。

2020年という一年を通して、私は、やっぱり人と人とは会わなきゃだめだなという結論に至った。

時代と逆行しているかもしれないけど、40年近くリアルな世界で生きてきた私は、その世界での感覚を確かなものとして持っている。

仕事ではオンライン会議が普通になったが、細かいニュアンスや表情がわからないことで、コミュニケーションがとりにくくなった。
普段自分が、どれだけ相手の視線や声のトーンなどの細かいところを見ながら話しているのかがよくわかる。急に分厚いフィルターが間に入ったかのように、相手の様子が見えにくくなったのだ。
その細かな感覚は、踏み込むタイミングや相手の本心、それをふまえた上でのこちらの話し方を決めるのに必要不可欠だ。

プライベートではオンライン飲み会を何度かしたが、あれほど終わった後にむなしさを感じるものってあるだろうか。とてもかりそめな感じがする。
オンラインで3時間話しても、実際に会って30分話すのには敵わないと思った。

大切な人には、会って顔を見たいし、言葉を聞きたいし、気持ちを伝えたい。
会うと、私はこの人が好きだなぁと再認識する。

会える喜びを強く感じた一年でもあり、自分が誰を大切に思っているかがわかった一年でもあった。

2020年、本当におつかれさま。
2021年、どうぞよろしくね。笑顔でいこう。

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