心たちのすること、というテーマでコラムを書くなら、外せない話題だと思う、「恋」。果敢にも今夜は「恋」をテーマに、コラムに挑んでみようかと思う。
 
まずは、その輪郭を探ってみよう。辞書的な定義では、「特定の異性に強く惹ひかれ,会いたい,ひとりじめにしたい,一緒になりたいと思う気持ち」「切ないまでに深く思いを寄せること」などとなっている。
 
恋はどうやら「落ちる」ものでありながら、それが終わるときは登ったり、這い上がってきたりするものではなく、「冷める」ものらしい。
恋をしているときは「盲目」になり、「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」に見えるらしいので、目は見えないか見えていると思っても事実と違うものを見ているらしい。
恋煩い(こいわずらい)と言って、恋するあまりに悩みすぎたり気が塞いだりして、病のような状態になることも珍しくないという。(なんてことだ!)
 
理性的な判断ではなく、ある日気がついたら、誰かをとても好きになっていて、それ故に、悩んだり、冷静な判断が出来なくなったりするのが「恋」。
 
「恋」がうまくいっているとき、つまり自分の「好き」と相手からの「好き」が同じくらいの分量で、しかもそれがだんだんと高まっていくとき、それはとても楽しい。でも、自分だけが恋に落ちた「片思い」や、恋人同士の片方が冷めてしまった状況は、恋している方は苦しい。
 
自分が少し冷静になってきて、相手の良くないところが見えてきたり、これは続けてはいけない恋だなと気づいたりしたのに、なかなか終わりに出来ない恋も悩ましい。
 
かようにややこしくて面倒くさいからなのか、若者の「恋愛離れ」が進んでいるらしい。政府の調べでは、男女ともに, 「配偶者,恋人はいない(未婚)」人が全世代で2割以上を占め, 20代女性では約5割、同男性では約7割が配偶者も恋人もいない未婚である。 日本では恋愛結婚が9割に上るが, 「恋人として交際した」人がいないと回答した20~30代の独身女性は24.1%, 同独身男性は37.6%である。
 
しかし、冒頭で述べたように、恋は「落ちる」もので、現実を見失い、夢中になるものであるはずなのに、意図的に離れたり出来るのだろうか。自分は恋をしないと決めていたら、うっかり落ちることを防げるのか、うっかり落ちても自分で意図的に冷めることができるのだろうか。あるいは恋というのは、恋を探し求めている人だけが落ちるものなのだろうか。
 
うううむ。「恋」というものの輪郭を探ろうと思ったが、なかなか難しい。でも、確かに心は勝手に恋をする。論理的な思考や、冷静な判断とは関係なしに、「この人が好きだ!」とものすごいエネルギー量で主張する。そうなったら我々は為す術もなく、恋に身を委ねるしかない。
 
逆に、頭で考えて、この人に恋をしよう、と決めても心はそうは動かない。ただし、時間を共有するうちに、恋ではなくても、相手に対して安心感や安らぎを覚えたり、大切に思えたりすることは、ままある。
 
恋に落ちてカウンセリングに行く人はあまり居ないのか、私はそういうクライエントさんを持ったことはないが、失恋から立ち直れなくて、とか、頭で考えて選ぶ恋人やパートナーと、恋する相手が食い違うことに悩んで、という相談はそう珍しくない。こういう事象に出会うと、やはり、心は勝手に恋をすると思うし、心は我々の一部でありながら、思い通りに行かない外部のなにかのようにも思える。
 
「恋」とは、心たちがすることで、意志や理性ではコントロールが出来なくて、それによって幸せになることも不幸せになることもあるもの。
 
コラムの始めと終わりで、「恋」の解像度がほとんど変わらない感じなのがまことに残念というか、力不足というか・・・ 次は誰かの恋のものがたりでも聞いてみたいものだ。
                (M.C)

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