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来世は犬がいい

 動物が好きである。もふもふしている動物が大好きなのだが、猫は何故か仲良くなれないことが多いのに対し、犬とは通りすがりでもよく目が合うし仲良くもなれる。

 それは現在進行形で犬を飼っているからじゃないかと言われることもあるが、飼っていない時でも通りすがる犬と仲良くなるのは私の特技だった。
私は犬好きの犬びいきなのだが(猫も好きだし、できれば仲良くなりたいとは思ってはいる)、こと感情表現については、人は犬を見習うべきだとすら思っている。

 犬はわかりやすい。美味しいものを目の前にすると、表情がぱぁっと明るくなる。それを食べている時に「美味しい?」と聞けばニコニコするし(しますよね?)、叱ればしょんぼりするし、いじけている時に拗ねたように上目遣いをすることもある。ドッグランや公園で友達ができると大騒ぎではしゃぎ回るし、失礼な態度にはちゃんと威嚇もする。

 要するに、彼らの感情表現には無駄も無理もないのだ。ちなみに無駄吠えなどというものは犬にとっては存在しない。人間が彼らの鳴き声を無駄だと決めてそう呼んでいるだけで、彼らにとっては必要な「要求の叫び」なのである。

 人間も、犬のようにストレートな感情表現を恥じらうことなくできれば、ストレスの3分の1くらいは無くなるのではないだろうか。

 美味しいものを美味しいと、好きなものを好きと表明し、自分の尊厳に傷がつけられればちゃんと怒ったところを見せてくる。

 一方で人間はどうだろう。悲しみや怒りの表現に対して抑制的なのはまあ仕方がないとしても、喜びや楽しい時の表現すら、なんとなく控えめにしてはいないだろうか。

たとえば美味しいものを口にした時。見えない尻尾をブンブン振って「これ美味しい!」と喜びを爆発させてもいいではないか。「普通に美味しい」ってなんなんだ。ただ「美味しい!」じゃダメなのか。T P Oさえ守っていれば、笑い皺ができるくらい大笑いしたって良いではないか。人間よりもはるかに少ない表情筋をフル活用してコミュニケーションを取ってくる犬や猫を見習いたまえ。

 と、勢い込んでここまで書いてきたが、コミュニケーションには相手が必要で、表現の仕方もその相手次第ということはわかっている。そしてその人の文化的背景も感情表現に大きく影響していることも知っている。例えば通販番組の場合、アメリカ人の方が表情の動きやしぐさが大きいのにナチュラルで、日本人の表現は少し大きくするとわざとらしさが漂ってしまうのは、おそらく文化差や骨格の違いによるのだろうと思う。

 それを踏まえても、犬の伸びやかな感情表現が羨ましく思えるのだ。確かに、脳の容量や寿命については、イヌはヒトを大きく下回る。しかしこと感情表現やコミュニケーションの美しさについては、人は犬に敵わないのではないだろうか。人の感情はそもそも複雑なものだし、その表現も複雑だ。複雑なものが悪いとは思わない。が、時には思い切りシンプルに振り切って表現してみるのもアリなのだと思うのだが、どうだろうか。

 そんな私は、願わくば来世は犬として生まれて、喜怒哀楽を思うままに味わい、思い切り表現できたらと思っている。
             (C.N)

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