母性神話をやっつけろ
数十年前、社会人になりたての頃に、真っ先に感じたことがある。
それは、
この社会は、一人で生活する人間に優しくない。
ということである。給与振り込みのために、新たに通帳を作ったり、様々な手続きのために役所に赴いたりしようと思うと、平日の日中にしか出来ないのだ。学校などで仕事をしていると、昼休みにちょっと抜け出して…ということが出来るはずもなく、なかなか手続きが進まない。
週5で仕事をしていたら、こういう雑用が済まないのである。
自分が社会人になるまでは、親がやってくれていた。しかし、その親というのもいわゆる仕事をしている父親ではなく、専業主婦として日中、家にいる母親である。
そうか、日中、家に誰か人(しかも手続きができる大人)が、いることが前提で日本の社会が出来ているのか! という事に思い至った瞬間であった。
つまり、日本の社会は、基本的に親子や夫婦、パートナーなどの複数の大人の単位としての家族で生活することがスタンダード化されており、その家族の中に、専業主婦だったり、パート勤務だったりで、平日昼間に融通が利く人がいることが当然と思われていたのだろう。
これを、男性社会と言わずになんていうのか…と思ったのはもう数十年前の話で、今では、夫婦共働きが珍しくなくなってきている。土曜日に役所が開いていたり、マイナンバーカードを使ってコンビニで書類が取れたり、ネット銀行が出来て、平日に手続きする必要も少なくなってきた。
このように、社会も少しずつ変わってきている。同様に、「三歳児神話」という
上記のようなものがあったが、現在の心理学の中では、ほぼ否定されている。
元々、イギリスの精神科医であったボウルビィの「愛着理論」の中で、乳幼児期に自分の訴えや要求にこたえてくれる主たる養育者との間で愛着(アタッチメント)が形成されることが大切だと考えられたことがこの三歳児神話の元になっている。
ボウルビィは「主たる養育者」と言っているのに、日本では、「主たる養育者」がイコール「母親」と違った意味で限定されてしまった。そのため、3歳までは母親が子育に専念しないとダメという誤解が生まれてしまったのである。
「主たる養育者」が存在することが大事なのは確かだが、それは、別に母親ではなくて父親でも保育園の先生でも、一緒に濃密な時間を過ごし世話をしてくれれば構わないのである。
そうやって、変遷を遂げている三歳児神話と対になるように、「母性」という考えがある。
母性とは
と言われている。
これは、動物の本能的特質なのだという。それを後付けするのは動物での研究である。赤ちゃんを産むと、脳からオキシトシンというホルモンが出てきて、養育行動をとるようになるというものである。その後、オキシトシンを阻害しても、養育行動は維持されるという。
この話は面白いなぁと思う。確かに、私は特に子ども好きではなかったし、生まれたばかりの自分の子どもをすぐさま可愛いと思ったわけではない。私の場合は、育てているうちに徐々に可愛いなぁと思うようになり、その後は、街で見かける赤ちゃんや子どもは皆、かわいいなぁと思うようになったという経緯がある。
でも、これは、母性やらホルモンやらによるものなのか? と思うと、それだけではないなと思う。小さい子が皆かわいいと思えるのは、自分の子どもと過ごした日々を、その楽しさや愛おしさを、他の子どもの姿に重ねて思い出しているからだと、私は、思っている。
一緒に過ごした時間が、母性を生むのだと思う。そう思えば、別に血のつながった母子ではなくても、母性は生まれるだろう。それこそ、父と子の間にも母性は生まれる。
動物研究の続きがあった。子どもを産んだメスであっても、子と引き離し、直接触れられないようにすると、一週間ほどで子どもへの反応性が減っていくのだという。養育行動は、継続的な身体接触があることによって、維持されるらしい。
子どもを産んだり母乳をあげたりというのは、女性じゃないと出来ないかもしれないけれど、それだけが全てじゃない。
子どもを慈しみ育てる時間が、母なるものと言われるような「主たる養育者」をも育てるのだ。その養育者になるには、血のつながりも、性別も決して絶対条件ではない。大事なのは、子どもに対し一生懸命養育しようという気持ちと努力である。母性などというものは、最初から最後まで無条件で存在するものではない。「女性じゃないから…」と言って、最初から子どもに正面から関わらなければ、いつまでたっても生まれも育ちもしないものである。
だからこそ、母性神話を盾に育児を母親だけに背負わせる時代はもうちょっと、古い。母親もそんな母性神話怪獣は、子どもと一緒になってやっつけてしまおう。
そんなものに悩まされるよりも、一緒に過ごしてご飯を食べ、泣いて笑って怒って、お世話をしたりされたりして。そんな日々の積み重ねの中で、関係性を作っていく方が、お互い納得できる家族に近づいていけるのではないだろうか。
(文責:K.N)
参考文献:https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2021/10/95-17-20.pdf
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