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リアルとリアリティ


先日、2日連続してミュージカルを観る機会に恵まれた。どちらのの舞台もとても美しく楽しく、あっという間に時間が過ぎた。片方の舞台には宝塚出身の俳優さんが出演していて、所作も声もとても凛々しく、こんなにも素敵な男性はいない!とため息が出るほどの男っぷりの良さであった。

宝塚ファンの皆さんには今さら感のある話ではあると思うが、あんなに素敵な男性は、舞台の外にはいない。それはなぜか。

女性が演じる男性、あるいは男性が演じる女性は「形」だからだ。

 仮に、である。坂東玉三郎や梅沢富美男が女形として本気を出している横に普段の私が本当の女性として立ったとする。どちらのほうが女っぷりが良いかといえば、当然、圧倒的に、玉三郎と富美男であろう。

しかし女形も男形も、現実感=リアリティはあるがリアルではない。だからこそやたら美しいし、色気が漂う。

 それぞれの性のあり方を解釈し、そこにかけられた理想や象徴を極限まで具象化したものが女形であり男形なのだと、私は思う。

 そしてこれは、私たちの日常でもよくあることだ。

「母親らしくあれ」「父親らしくあれ」。このように求められる時、真に求められているのは母親・父親として生きることではなく、それぞれの形をなぞれ、ということである。人格のすべてを明け渡し、母親になりきれという意味ではない。しかし時に親という役割は、そのインパクトの大きさやそこに期待される理想の強さゆえに、その形が大きな負担となってその人にのしかかり、苦しさの元になったりもする。

 そんな時には少しだけ形から外れて、ただの中の人に戻るといいと思う。リアリティをいったん手放して、リアルを生きる。そうすることで、生き延びられるときもあるのではないかとおもうが、どうだろうか。
(C.N)

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