心の棘が痛むとき
私たちは誰しも、生きていればどこか何かのタイミングで、棘が刺さったかのような心の痛みを覚えるときがあるのではないでしょうか?
その痛みとは、例えば子どもの頃だとしたら、ちょっとしたいたずらやお菓子をこっそり食べてしまったというような小さな悪事に対する良心の呵責かもしれませんし、友達との約束を破ってしまった後ろめたさや、道端で泣いている子を見かけても声を掛けずに家に帰ってしまった後悔かもしれません。
大人になっても、抜けない棘もあるでしょう。それは、気づかないうちに刺さってしまった小さな棘かもしれませんし、抜いたと思ったのにまだ残ってしまっている棘かもしれません。
これらの棘の一つには、他人と自分を比べてしまったときに、刺さってしまったものもありそうです。
例えば、友達の家にはピアノがあるのに自分の家には無いとか。友達はスイミングを習っていてうまく泳げるのに、自分は習っていなくて泳げないままだとか。出身校のレベルの違いや、友人の人数の差、車があるかないかであったり、補欠か正規合格かの差だったり。
そういったあれこれが、多分、生きている時間が長くなればなるほど、そんなに今の自分に決定的な問題を引き起こしていないと頭では分かっていても、時々チクチクと痛むときがあるでしょう。
そして、その痛みは感じるたびに、自信を少しずつ失わせていくようです。
しかし、これらの小さな棘を皆さんは、一体どれだけ覚えているでしょうか? いつどこで刺さって、今、どこら辺に残っているのか、気づいているでしょうか?
何かいつも、うまくいかない。どうしても、似たような場面になると、同じ反応をしてしまう。すぐに心が痛んでしまう。他人はOKだけど、自分はダメなんだなんて思ってしまう。そんなことはありますか。
これらは、もしかしたら、どこかで刺さったその小さな棘が原因かもしれません。小さな棘は、刺さっていることにまず気づかなければ、忘れられがちになってしまいます。そして、ピンポイントで棘が刺さったところを押された時に、急に痛みだすのです。
本当に小さな棘ならば、少しケアしてあげるだけで、新陳代謝によって取れてしまうかもしれませんし、見つけてあげて優しく取り除くことで痛まなくなるかもしれません。または、その小さな痛みを持っている自分に気づいて認めることで、その痛みすら大事にしながら生きていけるかもしれません。
だからまず、焦らずに、自分を卑下しすぎずに、どこかに刺さった自分の棘に気づいてあげましょう。自分一人では大変だということもあるかと思います。そんな時は、話しを聞いてくれる人、共に探してくれる人がいると心強くなれるでしょう。
あともう一つ、小さな棘が痛んでも、十分今まで頑張ってきたあなた自身を、労わる時間を作りましょう。ささやかな休息は、新たな今日を少しずつ重ねていってくれるでしょう。そして小さな棘も少しずつ抜けてゆけるかもしれません。
(K.N)