見出し画像

手紙についてのあれこれ

愛をこめてお手紙を。手書きの手紙はやっぱりいいよね。

源氏物語の世界を思いだす。どんな紙に書き、どんな枝や花に結んで届けるのか。手紙を開く前から、送り主の趣味嗜好、相手への思いが伺える。
 
最近読んだ自伝小説の主人公が、ある女性に一目惚れし、その人の連絡先を教えてもらうと、毎日、絵葉書にラブレターを綴り、まとめて届かないようにと毎日違うポストに投函するという下りがあった。絵葉書だから、長い文章は書けないだろう。短い文章に、思いを込めて、毎日途切れることなく、その人に向けて送り続ける。大変にロマンチストだが、自分が受け取る側だったら、空恐ろしいなぁ、と思いながら読んだ。(何せ、主人公のほうが一方的に一目惚れしただけなので。)
 
私がこれまでの人生の中で、一番たくさんの手紙を書いたのは、間違いなくアメリカに留学していた高校生の時だ。Eメールが今ほど一般的ではなくて、パソコンもひとり1台ではなく、家族に1台、みたいな時代。ホストファミリーのパソコンでは、日本語入力はできなかったと記憶している。なので、日本語で思いを書けることや、日本語の文章を読めることも、当時は手紙の魅力だったのかもしれない。(記憶を掘り起こすと、英語でやり取りしていた相手にはEメールを使っていた。)とにかく、家族や友人たちにたくさんの手紙を書いて、たくさんの返事を受け取った。あれは間違いなく「楽しみ」だったな、と思う。
 
そして、手紙のやり取りは、メールやLINEよりもずっとゆっくりのんびりしていた。すぐに返事が来るなんて考えていないし、既読か未読かなんて考えもしない。エアメールなので、自分の手紙が届くまでに1週間、相手がすぐに返事を書いてくれても、自分のもとに届くまでに更に1週間、というのが当たり前だった。
 
今は何でも速い、と思う。LINEしてすぐに返事が来ないとイライラしてしまうことすらある。いつも繋がっていることを求めている人も居るんだろうな、と思う。私もLINEで、まるでその場で一緒にいるかのようなお喋りを楽しむこともあるし、急用の電話に相手が出ないことにイララすることはあるんだけれど、それはいつもではない。
 
手で文字を書く、ということには、心を落ち着けたり、頭の中を整理したりする作用があるのだと思う。我々の祖先が、千年以上前から、文字で、歌で、色々な思いを表現してきた蓄積が、私達の中にもあるのではないか。パソコンやスマートフォンでの表現はまだまだ月日が浅い。でも「今の子」と評される若者たちは、私達とは違う感覚で、LINEやSNSを使っているのだろうな、とも思う。我々も、変化の過程、のほんの一部。

時々は、昔ながらのやり方を楽しんで、行きつ戻りつ、流れに乗っていきたい。
                    (C.M)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?