宮城集落探訪②~加美町周辺の廃校群~
仙台市中心部から国道4号線と457号線を北上した沿道に加美町という、人口2万人程度の町がある。
鉄道が通っていないためしがない高校生である私は交通手段に苦慮したが、ちょうど家族が岩出山の方に用事があるということだったので途中で寄ってもらうことにした。10月某日であった。
加美町は中新田、小野田、宮崎の三町が合併してできた町である。私は今回このうち中新田、宮崎にある廃校3校に訪れた。
①旧上多田川小学校
上多田川小学校は旧中新田町域にあった小学校だ。2014年に閉校した。
校舎が新しいのは、現在は国立音楽院 宮城キャンパスとして活用されているからだ。廃校らしさはあまり感じられない。
しかし、まだ小学校であった頃の証拠がなかった訳ではなく、
真新しいとはいえ、校歌を記録する石碑などが立っていた。
辺りも綺麗に整備されており、廃校活用がうまくなされている事例であると思う。
②旧旭小学校
旭小学校は、宮崎町中心部から二ツ石ダム、田代峠方面へ向かったところにある旭集落にあった小学校で、2019年に閉校した。へき地等級は昭和中期の資料に依ると「属地保障」となっている。
秋晴れの高い空に赤い三角屋根がよく映えていた。
閉校して間もないこともあり、平日になったら生徒が登校してくるのではないのかと錯覚してしまうほど学舎の息吹を感じた。
もう勉強に使われることのない教室の窓にはうっすらと「旭小さいこう!」という文字が。
昇降口の様子。古びた感じもなく全く現役に見える。
校歌碑。撮影している筆者が映り込んでしまうほどの光沢が、つい最近までここに数十人の児童が生きていたことを物語っている。
ふと、私は自分の小学校の校歌をおぼえているかな、などと思い返してみた(まだ高校生であるので流石に覚えてはいるが)。これからの人生の過程でいつか忘れていってしまうものなのだろうか。
いつまでもこの旭小の校歌が忘れられずにあってほしいものだ。
③旧旭小学校寒風沢分校
寒風沢分校は旭集落からさらに奥へ進んだところにある、田代峠までの最終集落である寒風沢集落にあった(かつてはさらにこの奥に田代集落があったらしいが現在は消滅している)。1983年廃校との情報。へき地等級は一級。
さきほどまでの本校舎とは違い、およそ学校という感じがしない。
仙台に生まれ仙台に育った私からすると、非現実的なもののように感じる。
だが、確かに学校はここに存在したのだ。
昭和34年次で38人の生徒が、ここを学び舎としていた。
個人名が書いてあったので掲載しないが、下駄箱にはまだ当時の生徒の名前が記されており、全くこの地に縁やゆかりがあるわけではないのにノスタルジックな気分になった。
校庭を通らないとたどり着けないところにも民家があり、地域社会に学校そのものが根付いているのだと感じた。
↑校門。旭小学校寒風沢分校の文字。
峠へ向かう一本道の奥にこのような学校があったことを、どれだけの人が知っているのだろうか。もちろんこの地や近くの町で育った大人は知っているだろう。
しかし、それが数十年後、今の高校生が大人になったとき、どれだけの人が覚えているのだろうか。そもそも覚えている人がいるかすら怪しくなってくるのではないだろうか。おそらく既に、宮崎町の若者にはこのさらに奥の田代分校の存在を知らない人だって多いだろう。
誰かにとっての大切な場所が語り継がれずに記憶から消えていくことが、私にとっては物凄く悲しいことのように感じられる。
だから私のような若い世代が上の世代が培ってきた文化/伝統を継承していくべきだと強く思う。
その一環として、私は今にも忘れられてしまいそうな廃校について記録したいと思いこの記事を書いている。
余所者の私がこうしているのは酷くおせっかいなことであるのは重々承知している。しかし、これが私たちの世代の使命なのだと、そう思っている。
帰り道に「食彩市場 みやざき どどんこ館」という道の駅に立ち寄った。
壁には、小学校の社会科見学のお礼状のようなものが飾られていた。その中には廃校になった旭小学校の生徒のものもあった。まだとても強く地域に根付いていることを確認することができた。
こんなところで、宇治の宮城集落探訪②の締めとさせていただく。
最後に一枚、食彩市場 みやざき どどんこ館の宮崎町地図