七夕アウトプット
七夕って何だか好きだ。
1年に1度しか会えない恋人同志が会える嬉しさから、他の人の願い事も叶えるという太っ腹な愛に溢れたイベントだし、星が絡んでいるのもいい。
給食で可愛い七夕のメニューが出たのも嬉しかった記憶がある。
先日参加したオンラインの講座で、「こうなったらいいなという状態とか希望を魔法陣のように紙に書く」というものがあった。☆型を書いて、その周りに〇を書く。その☆と〇の隙間が5箇所出来るので、5つ以上希望を書ける。私以外のzoomの皆さんは、すらすらと希望を書いていた。最低でも5つだから、5つ以上ならどんどん書いて良いというものだった。とりあえず私は
☆1 嫌な思いをして働かなくてもお金持ち
☆2 娘が楽しく生きて行ける世界
☆3 BUMPのライブに沢山行ける世界
☆4 旦那の今考えている事が分かる世界
☆5 周囲の人が私よりも幸せに長生きする世界(立派な事言っているように思うかもしれないけど、周囲の人が私より先に死んでしまうのが怖いだけなんだよね)
と書いた。ところが、それ以降がなかなか続かない。まぁ、とびきりの願い事を5つも思いついたからいいか。
それからしばらくして、先日の七夕に、花屋さんの前を通ると笹に短冊が飾ってあるのが目について、そうだ!娘と私で願い事を短冊に沢山書いてみよう!と思いついた。
娘にメモ帳を1枚渡すと、すぐに願い事を書き始めた。まぁ出るわ、出るわ。小さな字で20個ぐらいの願い事をびっしり書いていた。絵がもっと上手くなるようにとか、推しに会えますようにとか、行ってみたい場所とか…。
そうだ、ついでに母にも渡してみよう。台所に居た母にボールペンとメモ帳1枚を渡すと、しばらく考えてから、「皆が元気でいますように」とだけ書いてあった。自分が通院している状況でも他の人の元気をお願い出来るのか。おばあちゃんパワーってすごいなぁ。私と娘なんて、私利私欲に走ってばかりなのに。
おばあちゃんパワーに何だか申し訳ないような気持ちになりながら、部屋干しの角ハンガーにそのメモ帳3枚を一緒に干して、織姫と彦星が会えるようにお祈りした。
そうして自分の願い事を見返して気づいたが、ある意味ではもうその願い事は叶っている。ライブには行けたし、娘は最近楽しそうに学校に行っている。今この瞬間にイヤイヤ働かなくても生きているし、旦那の考えている事は何となく分かる。(タイ女とあの世で楽しく生きているだろう)皆が私より長生きするとかしないとかは、かなり遠い未来なのか、近い未来なのかは分からないけれど、かなり遠い未来だったならば、こんなお願い事をした事すら忘れているかもしれない。母は通院しているけれど、母以外の人達は通院しておらず元気と言えば元気だ。
娘の願い事だけがほとんど叶っていない。推しにまだ会えていないし、もっと沢山の絵を描きたいだろうし、手に入っていない画材もある。行った事のない場所やまだ会っていない人も沢山いるだろう。
この事に気づいてから、人間というものは、願い事を叶えるために生まれてきているんだろうなぁと思った。小さい子供はまだ経験していない事で溢れている。タイムラインが、長く生きた私や母よりもより多く無限に枝分かれしているのだ。私達はきっと忘れてしまっているだろうけれど、生まれて来た時には、ディズニーランドの入場ゲートをくぐる時みたいに、何のアトラクションに乗ろうか、どんなショーを観ようか、何を食べようか、ワクワクしながら生まれたんだと思う。やってみたい事がきっと沢山あったはずだ。人生の半分以上を過ごした私には、娘よりも選ぶ選択肢が少ないはずだ。なぜなら長く生きている分、経験した事の数が多いから。けれどそれは既に経験する事を選んだからだ。どうせ選ぶなら、今この瞬間からでも自分が楽しいと思える事を思い切り自己中で私利私欲に走った世界を選んで行けばいいのでは?と思った話。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?