教育は洗脳です。
タイトル過激かも、と思いましたが、
同じようなタイトルをつけた本を出している方がいるので、少しほっとしています。
私は、教育は洗脳だと思っています。
特に、日本の学校教育は完全なる個を打ち消すための施設だと思っています。
最近になって、個を大事にしようという教育がすすめられていますが、そもそも土台が量産型を生み出すための教育なので、ちょっとやそっとでは揺らぎません。
洗脳が悪いかと言われたら、そうだとも言い切れませんが、私は洗脳されたくありません。
人によって、その捉え方は違うということは理解しています。ただ、私は嫌なのです。
その選択権を、私たちは与えられていない。そこに疑問を感じざるをえません。
そもそも、学校がなぜ有形のもの、その地域にあるものと決まっているのでしょうか。
そして、なぜその地域の学校に行かなければならないのでしょうか。
学ぶ場所が、学校でなければならない時代は平成で終わりました。
これからは、自分が学びたいことを学べる場へどんどん出て行くこと、オンラインなどでももっと学べること、そしてそれぞれの学びの基礎の安定強化にもっと力が入れられたらいいと思います。
私は、よく私を疑っています。
これでいいのかな。本当に真理なのかな。
分からないけれども、変わるかもしれないけれども今はこれ!というのをぎりぎりまで考えて提示するようにしています。
そうすると、子どもも受け身じゃなくなるのですよね。
疑っていいという許可を出すだけで、ここ違うよとか計算ミスしてるよとかこういう考えもあるよって、どんどん出る。
私という存在は空気で、私がいなくても話はどんどん進む。
私は提示するだけ。
提示してくれるAIとかができたら、それも任せられたらいいのにね。
私が教育しなくなって、共に生きて学ぶようになって、本当に楽になりました。
失敗してもいい、笑われたっていい、いじめがあってもいい、だってそれに一緒に悩んで、よりよい方へ常に進むしかないから。
立ち止まって、考えることもある。
だから、不登校なんて一括りにしないで。
登校できることが当たり前ではなく、さぼっているとか贅沢とかでなく、そのようなときもあるさ。
教師もまた洗脳されています。
こうするのがいい、悩んだら誰かに相談するのがいい、今推進されているのはアクティブラーニングだ。
私の悩みは私のもの。
相談したければするし、したくない問題だってある。
それが取り返しつかないものでなければ、悩ませてくれ、病ませてくれ、何もかも取り上げて、また支配しようとするな。
右みて左みて、教育が推進されるものが意図的に官僚や政治家や、自治体寄りのものになる度に思う。
それで、本当にいいの?流されて、自分がやりたくないことやってて楽しいの?
洗脳された教育ではなく、
自分が楽しんでできる学びをもっと探究しよう。
世界は広いし、求めれば近い。
学びは自由、いつでもどこでも始められる。