かっこよさげなカタカナや英単語ではなく、本質を見極める

誰かの意図や大きいものの考え方に、染まる。
染まってしまっても、しかたがない。
ただ、染まっていることを自覚することは、自分軸を持つ、本質を見極める第一歩である。

SDGsやらアクティブラーニングやら、プログラミング教育やら、しまいにはディープラーニングまで、最近のツッコミどころのひとつは、もうちょっとわかりやすい言葉で言えませんかねえということである。

カタカナや英単語は言葉だけは目新しさ、かっこいいとは思うけれども、その本質を学ぶと従来の考えと変わらなかったり、以前からこんこんと言われていることだったりするのだ。

変化に激しい社会に対応する。
よく言われることだが、どうして変化に激しい社会に対応するのか、対応しなければ本当に置いていかれるのか、これだけ個の時代になっているのに社会に合わせる必要性を感じないなど色んな思いがある。

私から社会を創造する。
むしろ、私が社会になる。

そんなことがどうしてもしたくて、生きている。
だから、しんどいことは多いかもしれないけれども、既成のものではなく、新しいものを創り出す。
他との協力や協働はするけれども、取りこまれない。

変化は表層上で、人間たちわたわたしているだけであって、核は揺らがない。

だから、働きたかったら働けばいいし、
子どもを大切に育ててもいい。
正解なんて、誰も持っていない。
未来をみてきた人はいないのだから。

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