私たちは誓いの言葉を考えるのに、自分たちのルールを考えない
人をブランドで判断するのはもうやめよう。
その人自身が見えなくなるからだ。
(映画SATCよりキャリーの言葉)
ここ数日、ぼーっとしながら、色々整理しながら、ずっと観たいと思っていたけれど、観たことがなかったセックスアンドザシティーを観た。
観ない方がいいと言われていた(水野さんのSATC臭話)ので、多少びびっていたのだが、まあ感想は一言で言うとアメリカらしい🇺🇸
自由だなあと思う一方で、そのまま日本で同じことはできないし、そんな感じを出したら引かれるのは分かる。だから、あまりハマりすぎても毒だと思った。
ヒステリックになる回数も多かったり、でも恋愛体質ならその程度のことはあるかなとも納得したり。まあ、恋とは落ちるものだから。意識的に論理的にできたら、苦労はしないと。
SATCが製作されて約10年。
これほど女性をまざまざと描いたものはないだろう。日本ではこんなドラマは刺激的だ。
女性が自立しており、だからこそ自由に恋愛できるというところが、まだまだ日本とは違いが明らか。
賢さを備えた会話、でも馬鹿もできるし、お互いに忙しい中でも会う努力を欠かさない。
会うということ、電話すること、言葉や行動にすることがこれほど大事なのだと思い知らされた。
映画版では、何のために結婚するのか考えさせられた。2人でいるため。これからもずっと。2人でいるという約束をするだけ。だから、誓いの言葉よりも自分たちが決めたルールが大切。
私は結婚式を派手にしたくない派、家族や本当に近しい友人だけでしたいと思う。それでも失礼にあたるという世間体や見栄や訳も分からないしがらみに囲まれて、その判断を鈍らせる。
幸せはささやかに隠しておきたい。
そして、始めていきたい。
何年も一緒にいるパートナーを見つける旅は果てしないが、見つかることを信じて動いていく。
本質的なことを考えると、すっきりした。
内容云々よりも、言葉や終着点のうまさに唸った。そういうアメリカドラマである。
ここ最近、自分はNY行くなと思うのだが、これも意図せず舞台はNYだったなとか。
本質を考えながら、導かれていく。
仮面を被るな、見かけに騙されるな。
今ここから、自分を信じて幸せを温めて生きていく。
今回、お休みになったのも。
自分のお尻を叩かれた気がしてて。
もうここで生きていくな。違うだろうと言われているようで。
まあ、分かってはいたし、幼少期からいい思い出がない土地だし、でも地元だし。
変なプライドで諦めきれなかったのです。
ただ、きっとこれから生きづらくなるだろうから、もう出ないとなあとも。
最後の教えを、教授をしてもらっている最中です。
毎日ご飯がおいしくて、寝るところがあったかくて、好きな服を着れます。
とても、今幸せです。