公を変える困難さについて
ここ1か月ほど、困難にぶち当たって、悩みに悩んでおります。
悩みすぎて、病んでる。
難しいことを考えずに、処理しようとしても、結局のところ、堂々巡りで困難に当たる。
私の中の結論は、実は出ているのです。
あとは、どのタイミングで実行するか。
来月あたりから動き出そうとは考えています。
公を中から変えること。
自分の足元から変えること。
自分を変えること。
それに注力してきました。
人はけっこうどうでもよくて、自分の中のブレないものは定まりました。
そうするとね、どうしても外側の他人のごたごたが雑音になって、私を攻めてきます。
私は動けるのに、動きたいのに、動かしてはくれない。
まずは、それに病みました。
指示待ちで動くのに未だに慣れない私は、
他者から見ると滑稽で、何をそんなに考えることがあるのかと思われます。
その指示があればまだ軸を持って動けるのですが、それがないのが今回の難点でもあります。
指示はない、しかし枠からは出せない。
どうすればいいのか考えて打診しても、静止。
その繰り返し。
やっぱり、公のものは重いなと思います。
その重さを軽さに変えるのは、並大抵のことではないし、トップダウン形式である以上、トップにならないと変えられないのです。
一度壊して作り直すぐらいの気合がないと、何も変わりません。
ちょっとね、精魂尽き果てて。
公にさよならする日が近いなと思い出しました。
でも、何かしら教育関係のことをしたい。
そう思ったとき、私の方を考え出しました。
私からのアタックの方が公にも響く部分があり、実際に変えるのははやいのではないかと。
本格的に学校設立に動き始めます。
独自と言うよりも、付属して分校みたいな形からのスタートかもしれませんが、気になる学校も見つけました。
あと3年動きながら学んで、始められたらいいかと思います。
学校へ通うことが当たり前なのではなく、学びたいことを学びに行く、その一部分が学校であって、教科だけでなく横断的に様々な学びを得て、大学進学だけではない、本当の意味で学び深い学校を作っていこうと思います。
いつでもスタートできるし、終わることもできる。そして、全ての学びがネガティブではなくなるように、前向きに学び続けるために。
一斉やなんか足引っ張られることも少ない、新しい教育や学校の在り方を模索します。