村をつくるということ、概念を枠から外すということ
ちょっとね、実は今ピンチなのです。
頑張って、どうしようもなくて、息がうまくできなくて、お休み。
1日10時間くらい寝てる。
朝は7時半に起きるけれども、お昼15時くらいに寝て、18時に起きて、日付変わる前には寝る。
それくらいできないと体力が持たない。
したがって、何もかも夢見心地。
私は元来、長時間働くことが苦手だ。
夜は集中力が持たない。
逆に日中は物凄い集中力とパフォーマンスを発揮する。
だから、昼間の仕事を選んだはずだった。
なんか違うなあと思い出したのは、ここ数か月のこと。
毎日22時すぎて帰宅するようになって。
もう、20時ごろからいらいらして。
毎日したくない電話ばかりして。
やっているのに、やってと言われることが増えて。
全然クリエイティブじゃなくなった。
もちろん、クリエイティブなことをしようともがいたけれども、圧倒的に他者からの支配を受けることが多くなった。
ふと考える。
私は本当は何がしたいのか。
教育に関わりたい。
個別的な関わりがしたい。
少人数でのやりとりで、もっと深く掘り下げたい。
村をつくりたい。
これが当たり前、という枠を外して自由に生きたい。ボーダレス。
誰かと哲学を議論したりのんびり数学したりしたい。
お日様とともに起きて、沈むと寝て、おいしいものを食べる。
ああ、そうか。
シンプルなのだなあ。
私が村をつくりたいと思ったのは、手段であって、ハコモノがつくりたいわけじゃない。
都市と地方の共存。
そのためには、極端に寄った何かが必要なわけで。
今までの既成概念にとらわれない仕組みが必要なわけで。
今の経済体に寄らないものをつくっていきたいのだなあと。
今の状態に、私の幸せは最後は存在しないと分かっているから。
規模が大きすぎて、理解してくれる人はまだまだ少ないのだけれども。
見つめ直す期間に入りそうです。
たくさん迷惑かけて、頼って、生きるそんな期間になりそうです。
その間に、何か見つかる気がしています。
見守ってくれていて、ありがとう。
私は私の最底辺を支えてくれている人たちを、よく覚えておきます。
そして、その還元を必ずします。
これは曖昧なものではなく、覚悟です。
逆も然り。
こういう生き方をしてきたことを忘れかけていましたが、土壇場で思い出しました。
これからも、私をよろしくお願いします。