無題

自分が感じる、お金を稼ぐことへのなんか嫌な気持ちってどこからきているのか。

これが「生きていたくないのに働かなければならない」気持ちに繋がっているのではないか、という説が立ちつつある。これを解決することで生きていく気持ちが持てるのではないか。

(どうせ死ねないから、生を受けた立場上、周囲に与える影響の大きすぎる自死を選ぶリスクが大きくて、決断できないような事情がある。病に追い立てられて選ばざるを得ない方には今更なれないので、理性で戦う必要があるから。

自分が精神的に辛さを持っていて、生活に支障が出たことで医師から病だって言われて、その病名であることを素直にちゃんと信じて、自己紹介で公に出来ること、それはそれで羨ましいなって思っているのは、また別の話かな。配慮を求めるためには他者に説明できる病名の診断と、それを一旦信じて受けるメリットのために公開が必要っていうことも理解してる。)

お金を稼ぐことへの嫌な感覚が結構自分の中でネックになっていて、罪の意識に近い。稼ぐことが快感になる人がいる中で、なんで自分はなるべく給与を低くしたがるんだろう。

給与をもらいすぎていると言う感覚が強い。卒業後入った業界は基本給16万だった、それに諸々手当がついて月20万くらい。地方で高卒なら14万くらいだった。

地方の商業高校から、働くことがよく分からなくて引き延ばせるのなら引き伸ばしたいと、進学できる話があるなら進学しますと、条件のいい大学に行った。

いい比較になる気の合う友達がいる、その子はとにかく「金が欲しいから働く」と言っていた。オタク気質でそこは気が合うが、しっかりお金を出して物を集めるオタクだった。反面自分はお金を出さない、無料でネット上に落ちているものをとにかくかき集めるオタクだった。

父親が働いて母親が節約しているお金への責任感(人のお金で生きている感覚)が同世代に比べて強かった。勝手に使っていいものではない感覚。食費には気兼ねなく使うし、交通費には気兼ねなく使えるけど、好きなバンドがいるからといってCDが欲しいとかライブに行きたいとかそれは1年に1回納得したものだけを買いたいとお願いするような間隔だった。

思えば、父親への浪費に厳しい目を向けて、心から湧き立つようなイライラを抑えてた記憶が。よく思い出す、マッサージチェア買いたいけどどう思うって聞かれて、数十万すると聞いて要らないと、信じられない感じで答えた。

面白がっていた気もするけど、自分は本当にそれは娯楽費であり浪費だって思っていて、今思えば働いているんだから必要経費だろうって、自分より10歳は今から足された年齢だったからそりゃ体しんどいだろうと思えるから、後悔してるんだけど。

母親の節約に同化していたのかも知れない。母は自分に進路を広くひらいて、お金もかけれる状態を作り、ちゃんと色んなことを選べるように説得するような感じだった。奇妙だけど、自分がなるべく選択範囲が狭いことを望んでいた。

今打っていて、経費として捉えられないものに金を出せないんだな。売り上げを上げるとか、リターンがあるものに対して費用を使い、無目的で欲しいからと言って使う予定がないのに何かを買う、ことを子供の時からしていない。お祭りで美味しいものを買ったり、ゲームやくじをしたときは、ああ使ってしまったなという意識が強かった。

弟がとにかく欲しいものを買ってもらっているというのも、自分との差別化を図っていい子でいるために選んできたことかもしれない。弟は欲しいゲームをたくさん持っているし、漫画も親が進んで買っていて、そうじゃないと機嫌が取れない子供だった。

口より手が出るような厄介な子供だった。物を投げたりガラス割ったり多かったので、それと対峙する母親大変だなって言うのと、自分が別に何か言うべきでもないけど何もできないなっていう気持ちと、怖くて腹が立つなと言う気持ちと。

とはいえ、みんなそうか。自分で働いたお金になってからやっと、着ていく先もないグッズやタオルを応援のために買うようになったし、財布の紐固くなって当たり前だよね、無限に湧いてくる物じゃないんだから。それは正常だ。
まあでも、ちょっと使わなさすぎだし、使い道がないから働く気にならない。でもこのままだと生活費もなくなるし、親関係の急な出費が今後出てくる可能性を考えて不安になることも多い。

だからか、最近親のところに行って、自分は最低限働く気しか起きないから、施設に入ったり何か必要なお金が発生する予定があるか、いっそ聞き取りをしたい。家族や求めていることがあれば、言ってくれないと自分はそれを多分叶えたい気持ちには一生ならないって、伝えてしまおうかなって考えている。

親の方で貯金していて賄えるものと、賄えないものを教えてくれと。そうじゃないと自分は働かないよと、自分のために働いているだけでは家族のための貯金はしないって、どこかでわかってるからそう思ってたんだ。

親側からするとどうなんだろう、聞かれても言えないだろう。言った責任が発生するもんね。でも自分、使う予定ないのに働いて金貯めるなんて、歓迎されないのに自分が欲しいから家族作るとか、それはこの先多分できないよ。

何かが欲しいなんて、滅多に思わなくて、他人からの希望より自分の希望が先に来たことなんてないんだ。お腹すいても他人がお腹すいたって言わないと、ご飯食べに行こうって誘おうと思いもしないんだから。一人なら我慢できなくていくよ、でも二人なら相手がそう思うまで待つし、それは我慢じゃなくて思っていないんだ。相手が思ってなかったら、どうしたらいいのか分からない。

誰かを祝うのもそう、その誕生日という日が来たからという義務で、やりたいことではない。やらないことのデメリットを避けるため。自分が祝って相手が喜んでもらえるという思考回路、めでたすぎてついてけない。実際やらない。私のやりたいを待っていたら一生が終わる。これ。

進学とか節目もそう、早く卒業したいとか思わない。なるべく時間が遅く進んでほしい。何もしたくない、が本当の希望。何かをしたいなんて、自分が思うことがない。いつも周りに急かされて、何かしたいすらも急かされて何とか形作って決めて、心から希望を持ったことない。

勉強したいなとか、そういう気持ちが起こるためには、締切のない今みたいな時間を持たないとそう思えない。今はもう、目的のないことをやる。ただ色々考えてしまう時間が埋まること、ラジオとかドラマとか情報の塊みたいなものを詰め込みたい。そういう希望なら湧いてくる。

一度締切、何かの予定が入ってしまうと、もうそのための準備以外のことをなるべく削りたくなってしまう。自分の希望より、その予定対象のために起こる不安の解消に時間を使うべき、べきと思い始め、他の余裕や遠まわりを浪費とみなしているようだ。

だから、働き始めるともうそれしか考えられなくて、家事も何もかも犠牲にして、働いたことによって生まれる自己反省の反芻を止めるためにまあ結局はラジオやドラマで違う世界の情報を頭に入れるんだけど、それはもう浪費の位置付けになってしまって、睡眠時間を削ったことを後悔する一手に成り下がるんだよね。

働く前には楽しくて聞いていたものが、働く中で「ああやってしまった」の対象になる。こんな辛いことあるかね。その色褪せていく感じが悲しくて、人間としての尊厳が消されていくように思って、これまでの3社は辞めたような気がする。

何のために生きてるのか分からないのは、元からなんだけど、さらにそう思わされるというか。

それなのに生きるためには働かないといけなくて、人と関わらないといけなくて、人と関わると自分を優先できなくなって、自分の期待がわからなくなって、これが循環できている人って何なの、人類すごすぎない?

死にたくないから、痛い目に遭いたくないから、そういうことだってどこかわかってはいるけど。奄美大島ってサトウキビ生産で有名だったけど、江戸時代以前は中央の人間と区別されて植民地化、とにかく砂糖を作ることに特化させられて自分の食糧を生産する余地なく飢餓になったと聞いたことがあって。それは年貢っていう全国で米として行われていたことでもあるけど、それを思い出す。

このことから予測できるのは、世の中の仕組みっていうのは、元々循環を継続を予定していないんだよね。それを資本主義って言っているのか勉強してないからわからないんだけど、誰かに雇われて働くことって、継続を目的としてなくて、その就業による一瞬の風速のことしか考えていないように思う。

Coffee inc2っていうゲームがスマホアプリであって、なんか惹かれて深夜についダウンロードしたんだよ。次の日やってしまったと思ったけど、あれほんとに店長がバンバン補充しては辞めていきを繰り返すから、本当に駒のように思えてくるんだよ。店員も客も好き勝手希望を言う、でもその希望を叶えても、それをしたからシカゴ店の店長が継続しているのか、それをしたからニューヨーク店の客が増えたのかって、わからないんだよね。まあゲームだから、1週間が1ボタンで経過する設定なんだから、そりゃ瞬間風速に思えるでしょうと考えられるけども。その1週間その場にいて、1ヶ月の売り上げをキープしてくれれば、その数字が出て収支がキープされて安心したって気持ちになってきちゃったんだよ。経営者ってこういうことなんだろうなって感覚的に体験できるというか、視野の感覚はきっと現実も同じだと思うの。従業員の幸せではなくて、会社の存続。それに拡大していかないと、存続ができないような仕組み。広告費をかければ掛け続けないといけなくなるし、それを稼ぐためには規模を拡大させないと、拡大させたら目が行き渡らなくてどんどん人が辞める、みたいな。この先どこに行き着くのか、自分の知識がないからゲーム進められないんだけど、株式上場してどうするんだろうね。それで一度上がれば回り続けるのかな?

一番最初に勤めたところは社会福祉法人でさ、社訓にお客様満足と従業員満足が入ってたんだよ。今でも覚えてるの笑うな。真面目に社訓頭に入れて、働くことに取り組んでたからね。

売上が目標じゃないんだよ、それが独特だった。そこからもう、お金を稼ぐことへの嫌悪が出てるんだけど、お金が人の気持ちより優先されることへの違和感が溶ける感じがしてたの。

けど結局はそこから逃れられなくて、限られた人員で限られた勤務時間で残業はできない、だって月いくら、年いくらっていうお金で運営するしかないから。残業してその結果で、新しいお金が入ってくるわけじゃないから。

その中で客の満足を上に上に求め続けようとすると、自己犠牲になってくる。その自己犠牲も比較的感情労働でもちゃんと帰って来る場だったから業種としてはいいんだけど、学校教育を引きずってたから上にって思うんだよね。

本当に目的にしなきゃいけないのは、継続すること。ずっとその会社がそこにあること、自分が生活し続けられること、会社という仕組みがそれを考えてくれない。売上と費用っていう枠組みの中で会社が生き残ることが、結局従業員のための最低条件だから。でも大体、会社が生き残るための行為で、一従業員が不利益を被ることになる。それは仕組み上仕方がないので、その立場に置かれたら目一杯暴れないとならない。全部受け入れていたら、自分の生活が成り立たなくなる。自分は自分のことを一番に考えることが、結果的に会社のため、仕組みを継続させるためになる。
自分が自ら会社のためを思っちゃいけないんだなって、そしたら自分辞めちゃうからね。自分のことを必死で守ること、会社のせいにして、会社の余力に頼ること。

車椅子インフルエンサーの訴え、最近X、Twitterだけで炎上騒ぎになってたように見えるけど、以前空港会社に訴えた方もそうなんだけど、いかに手段を選ばずにわがままになるかが大事で。

障害のある人がずっと社会を変えるために運動してきたこと、知らない。歴史を知っていれば軽んじることはできない、無知の露呈なんだよね。

一般人の目線にたてば「施設の仕組み上他の映画館に行ってくれって言われたことに文句を言う」「空港で予約なしで乗れないと言われた」のはクレーマーと同じに見えるんだろうなはわかる、自分が働いてるところで下っ端が実際困るのもわかる。

でもじゃあどうすんのって、自由に外出できない問題を一人で抱えた方が、本当にどうにもならん。その方が心配だよ。大勢の一般人は気持ちにさざなみが立たずにいいかもしれないけど、不利益を被ってない人って本当に関係ないのよ。文句や正論を言ってる人って関係ないのに、自分が正しいと思っている。一般人がどう思うかなんて、発信した人もイオンの人も誰も聞いていない。そこまでバリバラとかに出ていた人だからわかっていれば安心なんだけど、病んでたら心配で仕方ない。でも福祉を少しでも歴史を一つでもかじっていれば、無知だから仕方ない。バス会社に運動をしかけた人がいる、障がい者とされる人が強くあらないと、社会の問題が全部目の前に自分のせいとして阻んでくるんだよ。何であんなに強く言わないとならないのか、健常者の心地よさを阻むものなんだよ。負担せずに済んでいたものを負担することだからね。配慮って気持ちのいいものじゃない、自由や資源の取り合い、外国人もそう、多様性って自分の許可できるものだけを選んで受け入れるような気持ちのいいものじゃない。自分の利益の間に食い込んでくるような不快なものを受けるようなこと、それまで不利益を自分で解決するしかなかった人の負担はその倍の倍の倍あったとして、その他大勢が少しほんの少し難しさや負担や不快さを受けないとならない。金かもしれない空気や時間や平穏か、何かわからない。

訴えないと弱者とされる不利益をずっと被ってる側ってどうにもならない。それなら全部自分のせいだって、我慢しろってことになる。それに正当性なんかいらない。健常者って自分もそうだけど、
正しさで判断する人、それは正しさじゃない。一般人の目線で予約してきてくれないと困るって自分も確かに思うけど、それは車椅子ユーザーが我慢することじゃないよね。

思いやりのある人が介助するという仕組み的な欠陥もね。比較的世間では良い人に分類されると思うんだけど、そういう人にだけ負担がかかって、悪い人なんて元々気にもしないし目にも入らないから仕事としてスルーできる。弱い人間を黙らせる仕組みになっちゃってる。

駅で車椅子で電車乗るには15分前には駅にいないといけない、前日に予約電話入れて、帰る時間も決めて、予定を立ててやっと外出できる。そんなの月に1回前々から予定立ててが限界なのよ。

一般人がそんな生活しながら働くなんてもう無理でしょ、寝坊したとかまだ飲み足りないとかできない、1時間に1本しかない電車で乗り遅れたらどうするか、取り返しがつかないから外出やめよってなるだろうな。常に考え自由が制御される。1日にできることなんて格段に少ない。パッときてパッと乗れる風にはなってないし、なる予定もないつらさ。

その塞ぎこむことを強いられるような難しさを、自分だけが解決を考える立場から抜け出すには、思いやりを持てる人にしっかり定期的に負担を強いて、その上で抱えきれなくなって”思いやりに必要性を感じていないような人の心を持たない人間”にまで、自分が不利益を被っていることを知って、訴えてもらわないといけない。その状態になったらさも自分が正しいと、分析して批判している人はどうするんだろうね。外出や辛さを我慢して自分を責めて病を呪って家族に負担をかけることに、耐えることできるのかな。

管理者って数字で物事見るから、そういう人の所まで必要性を訴えなければいけないし、管理者の向こう側値上げが必要なら消費者まで伝わらないと、収入が減って会社自体がなくなるかもしれない。障害のある人の周りって優しい人が多くて、それが本人に無言とありがとうを強いている構造、矛盾してる人間って。「こんな夜更けにバナナかよ」あいつ本当にわがままだなってくらいじゃないと、自分が守れないって矛盾してる。

学校では利用者の気持ちに沿った対応をって習いはするけど、本音を言えるような、できないって言えるような、いっそ力で抑えるような体当たりの介助者の方が、弱音を吐けるような、人間らしい職員の方がいっそ良いんじゃないかって、日々思ってた。自分はありがとうを強いてるなって。信じることで嘘をつくことを許してないな、みたいな。年上の先輩って軒並み圧が強くて、感情コントロールが効かない職場だったけど、色々あるけど誤魔化しながら続けている人を悪だって言えるのかな。

炎上も、怒っている人も、その訴えの演出の一人だってあの人が思っていてくれればいいなと。私なんぞよりコミュニティも知識もあるだろう。インフルエンサーとして素晴らしい仕事しているって思ってること、伝える方法があるのかなあ。結局ネットでコタツで書けるような意見って、1の数字でしかないから、恐怖を増やしたくないんだよな。


話戻らないと。
自分が自ら会社のためを思っちゃいけないんだなって、そしたら自分辞めちゃうからね。自分のことを必死で守ること、会社のせいにして、会社の余力に頼ること。

これ、どうやってやれば良いのか。いざ自分の身に置き換えたら、できてないの笑えるよね。

会社としては別に辞められることを不利益だと、捉えない、ところもあるよね。中間管理職が別に、変えが効くように仕組みを作っている時とか、単にその人員がいなくなった時のデメリットに関して無知である時とか。求人出せば来るような場所もあるし、その不利益ってもう、自分が辞めた後の人が被るだけで取り戻せるようなものじゃない。過ぎ去ってしまう。

だから条件に入れる必要ないか。辞めたら困るだろうと取引のカードとして使うことができない場所もある。だったら、本当に自分に利益があるかどうかで会社に勤めることを考えるべきだよな…

自分が利益に思うことって何だろう。むしろ、不利益に思うことって何だろう。

自分が一番会社に勤めてて辛かったのは、年次が上がるにつれて指導やまとめ役を強いられるようになったこと。それかな。
給与変わらないのにやることだけ増える、しかも他人がいたら気の抜きどころがない。その人の仕事も自分の責任の範疇になる。

適当にシフト考えたり、できれば良いんだけど。不安感が強いから、全部管理したくなっちゃうから。関与し始めたら、その人の責任を切り分けることができない。

見過ぎてしまう、次の日休みにしてあげた方がいいなとか、そういう気遣いの止めどころってわからない。自分を犠牲にして上手く場を納めることしかできなくて、自分の都合良いようにシフトを組むことが上手くできないからメリットの享受がない。批判を受けることが平気ならいいのだけど、それもまた気にしすぎるから。

これ、大学の時からそうだな。教員養成のたいしたこと教えない学部だけど、プレッシャーだけかけられる。本人の気持ちに添い好きなようにするのが一番っていう自分の考え方と、本人の好きなようにして被る不利益を予測して止めなければいけない管理仕事の間にある職業。

その職業と似た立場に置かれると、些細なことへの強いこだわり欲求と正しさから外れることを許さないような強迫観念に駆られる。この状態を避けたい。

でもそれは難しいよな、管理という立場にいかないと、今度は身体がキツくなる。でももう、若いとされる今で精神も身体がきついから、管理職になったらもうどちらもキレてしまうだろうな。

じゃあどう生きていくのか。会社のいいところは一定の金額による安定、だけど自分は結局安定しない。同じことをずっと指示通りルーティンで続ける、人となるべく接しない、アルバイトだね。これは。

マクドナルドででも働こうかな、いやあんな激務いけるか?
時給安くてもいいからそれでいいじゃん。すぐ辞めちゃうし、リセットしちゃうような自分にピッタリだね。

そこで人と合わない仕事かあ、在宅もいいけど、条件は自分次第っていうのもまた人生詰まってるよな。あの職種ならすぐ行けるな、経験もあるし。ただなーもう戻りたくない。やったこと全部トラウマになるのきついな。やったことの意味がどんどんなくなっていく。積み上がっていかない。

けどな、確定申告自分で初めてできたし、管理人やってるし、あとはアルバイトでもいいかもしれない。家族作る予定ないし。

男の人ってまずまともな職につかないと結婚ができないっていうプレッシャーにさらされたあと、稼げるようになっても家族がいないと寂しいという気持ちになる人もいるんだね。稼げるようになったら上がり、すごいだと思ってたけど、男性ってそこからがあるんだね。

美味しくて好きなご飯を食べることが至高で、誰かと食べることはプレッシャーになってご飯の味が分からなくなる自分にとって。モンゴルで一人でフランス料理食べて「俺何やってるんだろ」って泣くって、中谷美紀さんの気持ち以外知らなかったからいい違法動画だった。

あの朝から3人で喋る番組、若林さん好きにはおすすめ。最近上がったんだよね、いつの動画なんだろう。

男性に限らずそうなのかな、仕事があることが普通になれば、そのまたさらに上を目指す人間の性質なのかな。階段を登らざるを得ない。もしくはとても忙しくてお金も稼ぐことができるけど、満足感がなくなることによって、男女限らず家族を得ることでの安心感を求めだす。働く理由を見つけたい、そういうことなのかな。

それだと、働く理由が見つからない、一番最初の私の悩みに戻ってしまう。若林さんは家族が馬車馬に働くための理由になりえた。仕事や社会的承認がないから自分と違うけど、お笑いだけ何故か自分の感覚は間違えないってサトミツさんと曇りなく思っていたのが不思議みたいなこと言ってた記憶があって、自分にとってはそれが絵を描くことかな。

正解が自分の中にあるものってそれくらい。文章は正解がどんどん変質していくけど、絵って誰にも見せたくないけど、明らかにここだっていう止めどきがわかる。文書とかチラシのレイアウトもそう。これで万人に伝わるなっていうのがわかりつつ、まだ全然足りないなっていうのもわかる。でも届ける場所がないと作りたい気持ちにならない。絵は別に自分の気持ちがスッキリするために描くことできる。

でもそれらはやることが怖い、やり始めるとやめられなくなるから。納得するまで調整したくなって、前の仕事も頑張り過ぎて辛いって思うようになってしまった。本業じゃなかったからね。

疲れた、終わり。文章は平気で5時間くらいかける。体力使わないからね、ゲームも同じ、ゲームの褒美がないバージョン。


違う、お金を稼ぐことについて言いたかったのこれじゃない。ドームを借りるには客の単価だけでは、プロレスリングが作れない、グッズを売らないとあれが立たない、これが立たないっていう話を聞いて、ビジネス大事って言ってて、それを自分に置き換えられないかなって思ったんだよ。

それできなかったわ。


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