私の仕事の辞め方の観察

1社目 障害者入所施設での生活介護員
毎年行われる面談で辞めたいことを課長に伝えた。それまでは誰にも言わずに、周囲が辞めたいと愚痴を言いながらなぜ行動しないのか疑問に思っていた。愚痴を聞くのはいいが愚痴を言うことができず、苛立ちという感情があったかもしれないと、今思えばそれに対しての当てつけか。

なぜ辞めたいと思ったのか
言葉として伝えたのは、長時間の夜勤が続く中で体力が続かない、この先続けていく自信がないと言った。強い負荷の運動をやめてから、筋肉の量が減ったからだと思うが、生理痛が重くなり、立てなくなるような片頭痛が定期的に出るようになっていて、それでも学生の頃からの癖で仕事を休んだことはなかったしそれが当たり前というか、休むことで謝るストレスの方が辛かった。
休みというのは明けという夜勤明けの後に大体あって。昼頃お腹を空かせて朦朧としながらドライブスルーのモスバーガーを食らって、そのままスーパーの駐車場で眠ることを繰り返していた。紙カップの冷たいジンジャーエールと、その時気分の赴くままにあつあつのバーガーと玉ねぎのリング、美味しかったな。
起きたら暗くなっていて、眠っていないということは精神的に良くないことを考えがちで、当時7階に住んでいたので窓から飛び降りたくてしょうがない気持ちになり、家のトイレで精神科に電話をかけた。
その理由は今の自転車操業の生活から抜け出したいという気持ちがそうさせていたのか、そう、自転車操業だなってこの言葉を使っていた。帰ってきてから洗濯が出来なくて、回せても干せないから、同じもの着回して。
食事も、食事に手をかけないことで気持ちを保っていて、なぜなんだろう。自分を痛めつけることで、安心する?恵まれた状態ではいないから、自分の仕事のクオリティでも仕方ないんだよって周りにアピールする感じ。
なんでもいいんですよ、が口癖で、心配してくれた人が作ったお弁当を食べてそう言ったら、怒られた。パックごはんとカレーをずっと食べ続けていることで安心した。家に帰れば、とにかくお腹いっぱいになって眠ることが楽しみ。

もうやばい状態だから辞めてもいいと自分を許したかったのか、辞めたいから自分をやばい精神状態にさせていたような気がする。助けてくれとか、止めてくれとか、一回止まりたいとか、それはずっと学校に通ってた時から思ってた。

周りより自分の感情が押し寄せるのが遅い、ような気はしてた。自分のこうしたいこうなりたいあれが欲しい会いたい、が来る前に、周りからあれやったの?何になる?どうする?いつ会う?が来てしまう。
これは期限があるからどうにもならないことで、親も周囲も声をかけないわけにもいかない。自分のやりたいを待っていたら、学校を卒業してしまうほど自分の欲求が来ない。何もしたくない、家にいたい、食べたい、休みたい、眠たい。五大口癖。部活動だけ頑張ってたから、それ以外の時間は本音の子供の自分でいられた。

それでも隠して、我慢して、耐えて、就職したのに。
明日起きれるか不安という気持ちになることなく、目覚ましをかけずに好きなだけ眠っていたい。どうして許されないんだろう、こんなに毎日頑張っているのに、なんで毎日休まらないうちに明日が来るのか。

仮眠があるが簡単に眠れるわけでもなく、朝の日の出はとてつもなく人を眠くさせるし、6時の起床に向けて5時半から最大パワーで動き出す必要があって。うまく誤魔化したり愚痴ったり、嫌だって言ったり、出来てたら続けられたのかな。

人の命がかかってるってことを真摯に受け止めていたし、最悪を考えることは自分には合ってたとは思う。未経験で始めたから周りに遅れをとるのは当たり前なのに、秀でてないといけないっていう思い込み。人よりできないと十分な努力をしてないという思い込み、自分には自信がないけどそれを隠してできる振る舞いをしなければ、心に直接人からの評価という矢が刺さって私という人間が折れてしまう。

思い詰めていることや追い込まれていること辛いことが表に出ない。そんな中でも、気付いて気遣ってくれた人がいたのは介護という業界にいる人間の優しさだと思う。ならでは。心の動きに機敏。めんどくささもある分、宿泊業界はそのめんどくささだけだったけど、人の気持ちに寄り添う仕事をしているという面で、自分は尊敬をしている。心のどこかで見下しつつも尊敬している。

ただどんな人にも本音が言えなかった、本音を言ってしまうと面倒なことになるのは団体で動くチームの宿命ではあるけれども。自己防衛として正しい選択ではあるんだが結局、どんなに親身になってくれたとて、自分に嘘をついているという意識がある以上、救ってくれることもない。

自分に一枚、違う皮を被った状態で人と接してるような。一瞬で噂が広まるような閉鎖空間だよ。器用に切り替えられないんだよ。信用できる人を見つけることも難しい。

まあ結果的には体調不良、とにかく休みたい。家に帰らせてくださいと。事務やらないかとも言われたけど、今の状態で慣れないこと覚えることもできないし。結局、その時も自分の深刻さをきっちり話すこともできていなかった。嘘で塗り固めて、本当は死にたいんですなんて言ったら自分が崩れ落ちてしまって話すこともできなくなる、辞める時くらいは綺麗に辞めたかった。

申し訳なさはもちろんあって、利用者さんにはまともに辞めるって言えなくて。いつものように挨拶して恥ずかしいと思いながら帰ってきた。辞職願も、印鑑が家の中でもう見つからなくて、無いんですって押し通すしかなかった。

2ヶ月くらいそのまま社寮にいて、片付けることができなくて、辞めたことも言えなくて、何からすればいいかもわかりたくなくて、ゴミもちゃんと捨てられたのかわからない。
大家さんに電話することができなかった。電話をすることが怖くてたまらなくて、終盤は仕事としてもできなくて嘘をついていた。暗闇に向けて電話をかけるような、暗闇と話していて、自分のいたたまれなさや不甲斐なさを知られてしまいそうで、咄嗟に言葉を出すことも難しいから、間違った対応をして後からまた掛ける羽目になるのでは。相手も電話をされることが嫌だろうという思い込み、自分が嫌だからそうだと思うじゃん。最近わかったことだけど、何にも思わない人がたくさんいるんだよな。自分がされて嫌なことは人にしない、この教えは間違いです。間違いありすぎる。

とにかく眠って夜にこっそり食料を買いに行って、次の日生きていたくないから、まとめ買いしないで夜食と朝食しか買ってなかった。コンビニの肉や揚げ物の弁当と甘いお菓子とポテトチップスと食パン。
コンビニで千円以上買うのは悪だと、子供の延長で思ってたから、罪悪感をたっぷり連れて。今じゃ当たり前だね、物価も高くなったね。食べることにさえ罪悪感を感じていて、一挙手一投足全てに罪の意識、生きていることで自然を破壊しているんだっていう、もののけ姫大好きだからさ。今でも無駄に心の赴くままに運転することに罪の意識あるよ、ああ私のためだけにガソリンを無駄にして二酸化炭素が放出されて地球温暖化を加速させてしまったって。
これは年齢ごとにほんの少しずつだけど和らいでいる、自然というものはそんなに柔じゃない、気を抜いたら殺されるし生きていけない。っていう、年齢の高い人は自然の強さや生活のままならさを先に感じているから、ジブリの描く人間の罪に価値があったと思うんだけど、平成初期生まれはもののけ姫から入るからさ。
蚊にダニがいる山の中で一晩だって眠れやしない、毛のないツルッツルの人間なんて自然の中で死ぬ気で対応するしかないんだって、こちとら心の安寧保つために運転が必要なんだ、生きるのに必死なんだうるせえよって気持ちで運転するようにしてる。

引っ越した日も、ある日唐突に天気のいい日が来て、やりたくなさをぶっ飛ばしてくれるような天気のいい日。誰かに会ってしまうのが怖くて外にも夜しか出られなかったのに、一気に何もかも全部車に乗せて、家に帰った。家には連絡したのか、しなかったかもしれない。突然戻ってきた。突然戻って、辞めたって顔見ずにいうしかなかった。
それからぬるっと家に入り込んで、何も聞かずにいてくれて、当初は外モードで家族と話してたけどだんだんいたたまれなくなって、逃げるようになって。責められてないのに自分が自分のこと責めちゃうんだよね。顔を見たり、話したりすると心が一気にざわめいて溢れ出しちゃうから、一言も話さないと決める。その方が堰き止めができて、傷つけなくて済む。本音を隠したりする力もないから。そうなると話すまでの怖さができてきて、復帰するのも大変なんだけど。必要な時間だった、今思えば今と流れは同じだ。

2社目 ホテル接客業

辞表を書いて、施設長を呼び出して渡した。驚かれていて、本当になぜ自分の苦しさを周囲の人は気づいていないんだろうと思った。その辞表を出したこと、辞めることが決まっていないともう頑張れないと判断した。突然、会社に出てこなくなるギリギリのところで、辞表を出すことで終わりが見えて、そこまでなら必死で繕える。
精神科にずっと通った方がいいのではないかと10年くらい悩んでたが、引っ越して情報が漏れる心配も人に見られる恐れもなくなったため、通い始めた。地元では3箇所断られてね、勇気出して掛けては人に話しても無駄だを繰り返して。最悪だよ。
人が恐れに恐れて死にたいって言ってんのに予約できるの3ヶ月後になってしまいますね、ってじゃあいいですっていう言葉を待たれた、あってないようなプライドがへし折れる電話をかけることの労力わかんねえだろ、まあどこに掛けてもそれで、都市部に出たことで解決が見えた。
でもなんせ体力ギリギリで働いてるもんだから、休みの日は寝ていたくて、通院できなくて。通院も自分のことを全然話す勇気が出なくて、行っては自分を開きたくなくて嘘をついてしまい、大丈夫だと繕ってしまい、モヤモヤを増して帰ってきてた。キレてみたりした、治りたくない、死にたいのに病院に行かないといけない。死にたいのに診察を受けて薬をもらって、矛盾したことをしないとならない。そうしないと明日無事に仕事ができない。
死にたいっていうことがどうしても恥ずかしかったな。どうしましたか?に返答する頭の容量がない。言ったらどう思われるのか、否定されたらとか。ある医師にはキレちゃった、薬飲んでもどうにもならないと。ただ眠たくてしんどくなるだけなって、意味が無いからいらないですって。
受付の電話担当も、どれだけ努力して重い体ひきづって、時間通りに病院までたどり着いているのか、間空きましたねとか、なんで来れないのかっていう圧を出してくるの意味不明。そちら側の都合もあるでしょうが、こちら側の都合に寄り添うことはできないんですね。お仕事なのに。ちゃんと休憩が取れて、代わりがいて、給料が出て、休みもある職業なのに。

パリピの医師にイライラしたり、わかったような口聞くなと思ってても、当時笑うしかなくて。その笑ったことで相性がいいなんて言われて。パリピ医師よく喋るから話合わせるモードになっちゃうんだよ。決まった仕事がいいって言ったらマクドナルドいいですよ、とか。ボクシングやってみたいって言ったら、僕もやってますとか。お前の話聞くために金払ってるんじゃないんだよ、って。言葉が形にならないんだよ、話し出すまで待てよ、話せないなら聞き出せよ、それが仕事だろ。いいよな、仕事があって。派遣で来て遊んで帰っていい職ついたなとか思ってるんだろうなって。めんどくさいから話すのやめとこ、自分のオートで動く表情筋にまたうんざりする。

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そうか、困ってしまうからか。

他人に愚痴を聞かされることが多くて、誰にも言わないから言っていいよっていうくらい、聞いてた。それをすると目の前の人から好かれるから。だからこそ、人には愚痴を言わないようにしようって思ってた。自分の知らないところで自分の話をされることがすごく怖かったから。

誰かに話を聞いてほしいと思ってた、でも話を聞き出してもらうしか、方法がなかった。自分から話をすることは難しくて、グジャグジャに絡まった記憶から適切なものだけ抜き取るなんてできなかった。
今でも困ってる。すごく書き出して、書き出しても、全然列にならない。すぐ時間が経つと毛糸玉のように絡まって、引き出すこともできない。

ただ紙に書いて、それを聞いてもらった。そういう仕事の人に。何度も助けを求めては無駄だって言われて諦めてきたから、その場所の貴重さはわかるから、苦しみながらスケッチブックに書き出して説明した。
良かったのは誰がどう見ても事実として辛い状況にあったから。今までは、周りは別に平気そうにしているところで自分一人、辛い状況になっていた。ただ3社目の退職の時は、誰がどう見ても大変な状況だったので言うことができた。

3社目 ホテル接客業

入社3ヶ月で、社長を呼び出して退職願を書いた。その時はもう病院に通いたいと言った。できることはあるか、何をしたら助けられるかと聞いてくれたが、もうそれを考えて教えてと言う頭もなく、ミスへの恐怖から仕事に張り付いていた。
全員に自分が教えてもらいたい方法で教えたら、膨大な丁寧さになってしまう。自分の自信が霞のようになっており逆に雑に教えたりできず、誰に任せても出来ないだろうという諦め。
休憩中にラインで命の相談チャットのようなところにアクセスして、すぐに何ができるかを問うたら、ここに電話してみたらと。障害者支援の団体で、自分のそこに足を突っ込んでたのでそこに世話になるのかと抵抗があったが、もう背に腹も変えられない。
悩んでいたのは自分が悪いかも、自分のせいもあるかもしれないと思っていたから。思考能力がシャットダウンしていて、周囲が軽々やっていることがどうしても重々しくなってしまう。
それは元々なのかもしれなくて、発達障害があるのかと思ったり。だからこそ自責思考からは切り離せなくて、生活を犠牲にしてしまう。どういう目に合っていたかは悪く言うことはめちゃくちゃできるけど、その中でも頑張っていた。
頑張る以外にどうしたら良かったのか、全然わからない。笑ってたし、平気なふりするしかなかったし、自分のせいで周りに迷惑かけている気もしていたし、ちゃんと助けも求めていたのに。ギリギリまでまともなフリをして。
助けてもらった人がたくさんいるんだけど、いつかここにも詳しく書きたいけど、面白くは書けないな。いい人と、全員がいい人だと思いたい。そうすると、自分が悪い人になっていく。好きになりたい、好かれたい、それと相反する仕事、そして対応。いつか狂っていると糾弾できるのかしら。自分が狂っていたのかな。



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