電話に出られなかったことの反省が6千字か

しんどい。電話に出たくない気持ちが強くて、人に迷惑をかけた。妄想してしまうのが悪い。ご飯に行こうと誘われるのではないか、元気かと聞かれるのではないか、それにどう答えればいいかわからない、考えすぎるのだ。
出てから考えればいいし、自分の想像よりも深刻な出来事は今まで起きたことがない。30年間の経験があるのに、スマホのひと指が動かない。次からどうするか。出てから考えろ、すごく低いテンションで寝っ転がりながら出ればいい。それでいいのに。もしもし、と、何かあった?と恐々と聞けばいい。

嫌な理由を挙げてみよう、真っ暗な暗闇を想像してしまう。たぶんスマートフォンの画面のせいもあるけど、沼のような中から人の声が聞こえてきて、自分の領域を侵犯してくる。スペースに人を惹き入れてしまう、耳元で声がすることが嫌なことの一つだ。(それなら、次は、出た後にすぐスピーカーフォンに切り替えよう、それでだいぶ解決するのではないか。どう聞こえているかは気になるけれど、スピーカーフォンに切り替えたなということは相手もわかるだろうし大丈夫、大丈夫)

あといくつか、相手がどんな状況なのかわからないが、こちらが喋らないという選択肢がないことが怖い。声色と話す内容に重きが置かれていて、逃げられないこと。過度に相手の気持ちを探ろうとするセンサーが働いてしまうのがきつい。咄嗟に嘘をついてしまったり、自分の意見と違うことを言ってしまうことがあるので、なるべく文章で話がしたい。ただ、電話をしてくる相手は、緊急だから電話をしてくるのであって、文章で送ってきてくれる人などいない。

自分に用事があって電話があって、知らない他人がその用事を果たしに来た。あちらさんは気を遣っているはずだ、でもその気を遣わないように跳ね除けるための説得をする気力も、器量もないのだ。おそらくこまめに連絡を取り合い、いつでも連絡してもいいよという雰囲気を出しておかないといけない、それがベストだ。
電話をかわった感じは多分嫌われていると思っている声色だった。外国人だからまだ、日本人だったらいたたまれなくてさらに色々と勘繰ってしまうだろう。おそらく簡単に物事を考える人なのでまだこちらとしても楽な部分が、多少あるけど。

電話が怖いと思うのは、自分の話をしなきゃいけないから。しかも間髪入れずに。さっき知らない人が来たけれど、流暢に会話することはできるのだ。いらない情報まで喋っちゃうほどに、初対面での対話はできてしまう。
それが嫌だ、なるべく人に自分のことを知られたくないのに、話さないということができない。相手が楽しく会話できるようにしゃべってしまう。こんな人間はどうしたらいいんだろう。

トラウマなのか?まあ、確かに。以前の職場でも極端に電話を取るのが怖く、事務所に居られずに逃げ回っていた。事務が足りないとわかっていたが、人の圧に押されて間違った対応をしてしまうと取り返しがつかない。
電話を取ったとて、誰も助けてくれる人はおらず、わからない、切ってとか言われる始末。事務仕事をしていると電話が鳴るけれど、取りたくないのでいつ鳴り出すのかビクビクしながらの環境だった。
丁寧に電話を取ればいいというものでもなく、周囲が常にその電話に聞き耳を立てている。厄介ごとを持ってきて欲しくないからだと思うが、よく周りの人は平気そうに仕事をしていたと思う。気が狂う。
簡潔になるべく電話を切り上げていかないと仕事が終わらずに文句を言われる環境にあった。こちらからかける仕事も多くあって、進まずに謝ってばかり、時間が過ぎていくばかりでどうしようもなかった。
周囲の人たちはそれをやり過ごしていたけれど、自分だけがどうしてもできなかった。年下の子達に助けてもらって、怖いと言って逃れていた。どうして周りの人はできていたんだろう。

その疑問は次の職場で解決された。私がほぼ全ての電話をとるようになった。自分よりも日本語が話せない同僚たちと、一緒に働くことになったからだ。あれは責任感だった、そしてミスをしても自分で誤魔化す方法がわかっていること。リカバリーの方法がわかっていれば、自信を持って対処できるし、周りが自分よりも苦労している姿を見ればなんとか無理をしてでも助けようという気になるのだ。

ただマシな点として客が怒らない、前の職場では人々はイラつき、どういうことが説明を要求してきた。どちらが得なのか価格帯が安いとこういうことが起こる。〇〇とはどういうことですかと聞いただけで、そんなこともわからないのか、社員としてどうなのと怒鳴られたことがあり、あまりに突然だったのでそこから動悸がするようになってしまって、だんだんと接客のない仕事を好むようになった。自分じゃなければ適当にあしらえたんだろうな。

新しい職場でもだんだん日が経つにつれ、怒りを向けられるようになった。事務仕事が滞り、自分にはわからないことで怒られるようになった。色々な場所への支払いが滞り、経理の、振込時期なんて自分には分からず、上司とされる人間も適当な人物で来月払うと言っておいて等あしらうことを求められた。
もっと自分が前の会社の若者たちみたいに色々合わせられるような人間だったら、もっと、もっと上手くやれたと思う。自分より後に入ってきた施設長がわかるわけがない。
助けて欲しいと言えば助けてはくれたし、対応を変わって欲しいと訴えれば代わってはくれた。嫌々ながらね。でも職場で一番長いのが自分になるというのは、倒れかけの落ちこぼれの私にとっては無理ゲーだった。
こういうふうに助けてほしいと言葉にすることさえもできなくなり、どういう順番で何をやればいいか、バイトで来てくれた年上の方に教えを乞うような状況。泣きながら毎日をやり過ごし、自分なりに頑張ったけれど常に時間に追われ、自分の仕事を人に振ることができない。外国語話者ばかりで、パソコンを使える人もいない。ミスをネチネチと責められ、すみませんと言わないと助けてくれない。そりゃそうだという声が頭にあり、完全に人のせいにもできない。いい人だと信じたかった。一部分を見ればみんな良い人で、仲良くしていた。そんなことなら、元々嫌ってしまった方が幾分楽だった。でも人を嫌いになることを自分が許さなかった。
どこかでみんないい人だと思いたい。それは事実、みんないい人、意見の相違でぶつかるだけで完全なる悪人なんていない。それが世界の厄介なところ。
こちらの要望通りに動いてくれない、その人の気持ちになったらそりゃそうだよね、と納得してしまう。でも納得してしまってばかりいても、仕事は進んでいかない。外面だけ良くて誰にも信頼されていない施設長が、実際は人動かして仕事を前に進ませている。文句を意に返さず、パワハラまがいの恫喝をしながらでも。
警察を呼ぶような酷い環境だった。施設なんて経営なんて一個もわからない人間と同じ日に出社して、話が通じないとわかった前の施設長は、適当な世間話だけをして、あとは自分に引き継いだ。
入ったばかりだしアドレナリンも出てるので必死にメモを取って、いろいろ質問をして、退社日にはお花も買ってあげた。そういう最初にいい顔をしてしまう自分の悪いところも存分に出てしまっていた。
いい人間関係をつくれば仕事が楽になる、そう信じていた。信じたかったし、それしかミスの多い自分にはできないと思っていた。急激に成長を遂げたけれど、いろいろなことを勉強して、わずかな前職での経験を引き延ばしてどうにか、ろくに教わる時間もないままシフトに入れると見栄を張った。
シフトを組む作業までやることになって、多分海外の人にはちゃんと出来ませんと言わないといけないこと、当時の自分は知らなかった。自分の管理は自分でやらないといけなかったのに、とりあえず断るわけにもいかないとたくさん抱えた。
助けて貰えばいいと思っていたけど、無理だった。できなかった。勉強してもわからないし、なんかそういう時間とかやりくりの話になると、自分の頭は止まってしまう。数学が苦手、組み合わせたり、将棋のように後先を考えるというのがどうにも、頭が真っ白になる。不向きだった。

いろいろな仕事から抜けていくものの、自分は何もしていない、ただ人の話を聞いて文句を言うだけ。その日を乗り越えるだけで精一杯で、周りにどう助けてを求めていいのか、助けを求めたところでそれやらなくていいよと言われるなど。自分自身のズレもあった。きつかった。やりたいと自分で言った事務の仕事だって、教えてくれるような人間を自ら電話して探すような形で。別の業務を人に引き継げないため、職場に残ったら残ったでイライラされる。うまく残っている理由を説明できない、妙に完璧主義なので自分の不安を消すために働いてしまう。
もしミスがあったら、謝るほどの体力と精神力がなく、きっと泣き出してしまうから。パソコンに朝から夜まで向き合っていた。心配を周りはしてくれても、仕事を奪っていってくれるわけではない。呑気に賄いを食い始める同僚たちに恨みさえ募っていった。しかし、そんな顔は微塵も出してなかったと思うし、ラインだって笑顔で交換したし、でも明日挨拶しにまた来るねと言って、行けなくなった。
無理やり、行こうとすれば行けたと思う。部活や学校が嫌、だけど行かなきゃいけない、に似てた。体の隅から隅まで鳥肌が立つような行きたくないだったけど、働き始める時だってそれを我慢して、行かないと迷惑をかけると思って頑張って行った。
でも最後の日は別に行ったとて迷惑はかけないだろうなと、だからもう家から出なくなった。一度家に帰ってきてしまうと自分は1週間単位で眠りだしてしまう。外で車中泊をしていれば、家に帰りたくなくなるし、変化が好きではないんだと思う。
誰にも見られていない安心感さえあれば、継続していることは苦でないし、車に乗っていると食欲が湧いたりトイレに行きたくなったら動くしかないので、それも行動を促しているんだと思う。家だと起き上がって済む行動が車での移動を必要とする、それだけのことだ。

電話の話をしていたのを忘れていた。こういう嫌なことは吐き出していかなければいけない。自分は人に愚痴を言う習慣がないので、誰にもこういう話をしたことがない。
もう眠って忘れる、食べて忘れるという対処方法をとってきた。相手の気持ちを考えず、スッキリするほど自分の愚痴を話すことができる人たちって、私にはまだ意味がわからない。
高校時代は同じように世界を恨む友達と手紙交換をして、死ねだの強い言葉を吐き出して面白がっていた。細かく言語化していたが、時が経つにつれ、自分のアラが見えて、愚痴を検閲する自分というものがすぐにかき消すようになってしまった。

学生なら時間が溢れていたし、ダメな自分というものを不完全な部分も見てくれている安心感があったが、大人になってよく信用もできない人にダメな部分を晒すことはできない。それを聞き出して共有するような人間も多かったから。
ただ周りの人は自分によく愚痴を吐いてくれるので、嬉々として聞いていた時期もある。必要とされているわーい、という短絡な思考で。

また電話の話に戻れなかった。
電話に出られないというのは困ったものである。なんて説明したらいいのだろう。それをわかってもらおうとするのも、何だか自分が捻じ曲がっているようにも思える。自分に気を遣ってくれという、アピール行為にも思える。
それほどあちらさんは気にしていないのかもしれない、それさえも捩れまくった自分にはわからない。何が正しくて何がおかしいのか。

自分の考えていることをただただ言葉にすること、それが自分に足りていないライフハックだと思っている。誰に見せるためでもなく、自分のために。どうしてそれが子供の頃にできなくなったのか、わかろうとしたほうがいいのだろうか。

片方の親からは感情をぶつけられることが多かった、自分はどうしていいのかわからなかったし、感情を揺さぶられてしまって自分も感情的になってモノを投げたりしてしまうので、あまり喋りかけてほしくなかった。
多分親側もそうで、専業主婦だったので何もせず夜更かしをして将来のことも全任せで食って寝るだけの女子高生に腹が立って仕方なかったんだと思う。紙に文字で色々考えたり、気をつけたりしなさいと書いて、机に置いてあったりした。
別にいい親をしてくれているのに、それを読むだけでもしんどかったりした。男親には感情を抑えて大人として接することができるのに、同性の親には言いたいことを言ってしまう、実務は女親の方、なんて損な役回りだろう。かわいそうなことをした、生まれてこなければよかった。ちょっと抑えつけられると反発したくて、でも反発したくないので、喋らないという選択をした。よくわからないツボで怒り出したり叫んだりしているな、と思っていた記憶があるが、それは私があまりにも気が付かない性格だったんだと思う。自分のミスに衝撃を受けることが多々あった。ぼーっと頑張って生きていたら、ガーンと頭を殴られるようなことをしでかしていたり、忘れていることがあったりした。客観的なものではなく主観的に。家事も何にも、お弁当も自分でやってみって言われても何にもできなくて、まず朝起きれなくて、夜もお風呂に入れなくて、何度ストーブの前で眠ったか。0時を超えてやっと動き出して、大音量の目覚ましで家族を起こして、イライラさせたろう。

いくら早く寝ようとしても、眠れたとしても、早く起きることはできなくて。結局布団の中でお腹空いたとしんどくなる毎日。起きるのがとにかくしんどくて、起きたてでがっかりする。
私はまともに朝練というものに参加していなかった。毎日心臓ばくばく言いながら、ちょっと体育館に行ってすぐ帰っていた。どうしても何時に来てくれと決まっていないと、自分から早く起きて行くことはできなかった。どう思われているのかすごく気になる割に、毎日寝坊していた。

なんで生き延びているのか、本当にわからない。早く死にたい。そんなことはずっと考えていたし、リアルタイムで思っていた記憶もあるし、今だって思っているし。自分の人生は螺旋状になっていて、考えていることが本当にアップデートしていかない。
レベルアップっぽくなることもあるけど、積み重なっていくだけで解決はされない。上に積み重なっていけばいいけど、私の場合は砂みたいに重いものがどんどんどんどん、心に降ってくるような感じ。周りの人はレンガみたいに経験の上に経験を積み重ねて登っていっているのに。私はいつまでも同じ質の重たい砂が心に積もって埋まっていく、それだけ。
時間が進んでいく感覚がなくて、いつも人生のタイムラインを書かされる時白紙だった。右肩上がりのようなそんな時間の捉え方できない。しんどい。とにかくしんどい。しんどい。辛い。何にもない方が辛い。

この辛さは人に言ってもダメなやつ、自分の中だけの辛さで。口に出すとすごく稚拙なものに変化する。そんなのわかってる。だから書いている。本当に世界がなくなればいい。苦しいのは嫌だ。眠っている間に死にたい。海に潜っている夢を見ながら死ねたらいい。溺死は怖いだろう。死ぬことはとてもしんどいことだって知っている。でもそういう話をしないといられない。生きていけない、息をしてられない。終わり。

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