呪い

自覚のないスメハラマンを救うことはできるだろうか。
匂いのキツイ香水をつける→鼻が慣れる→香水の量がだんだん増える→近くに居合わせた鼻が死ぬる
ただ死にかけた鼻も、だんだん慣れて気にならなくはなる。
誰かが言ったように、人間はどんな環境にでも慣れる生き物らしい。

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忘れたい体験や苦痛な記憶は、誰にでもある。五条祐介にもある。

当時高校1年生。夏の始まりである。
1時間目の体育のあと、家庭科室に行った。
中央にテーブルが8つある。2列4行。
1つに4人で座る。祐介以外の3人は女子だった。緊張して身体が固くなる。
彼は未だに、女子とまともに話せない。「あっ、うっ」話しかけられるとテンパってしまう。そんな自分が嫌だが、どうすればいいか分からない。
祐介の目の前に座っているのは、ヒエラルトップの青木だった。彼女の化粧は小綺麗で、パッと見は歳上のお姉さんに見える。
それに思ったことをそのまま口にできる強い女でもある。
あるとき祐介は食堂に座っていた。
たまたま近くにいた青木がおもむろに「あ〜、エンコウしたーい」と呟くのを聞いたことがある。

そんな青木が祐介の正面に座っている。
授業半ば、急に彼女が叫んだ。
「ちょ、マジ臭いんだけど!なんとかしてくんね?」
祐介には青天の霹靂であった。
『なんだこの人。授業中に声あげて、いったいどうしたんだ。変な匂いなんかしないじゃないか』と不思議がる。
ただ、周りの反応がどうも祐介とは違う。
青木の突然の叫びに、誰も驚いた様子はない。先生も一瞥して無視している。
なにかがおかしいと感じた。
自分以外の皆んなが無反応という違和感。
『もしかして俺のことかもしれない』と察すると、全身の血液が一気に心臓に集まった。

実際、匂いの原因は祐介だった。
ただ彼には全く自覚がない。
鼻は、よく嗅ぐ匂いに慣れる。祐介の発する異常な匂いも、自分の鼻には正常であった。
彼の意識は、自分の臭さをもう認知しない。

鼻は利かない。でも直感が利く。
どうも何かがおかしな状況だ、と脳が訴える。
『自分のことでは?』と考え出すと、一瞬で納得がいった。違和感は消え、絶望が襲ってきた。

小さいときから祐介は、人に迷惑をかけるなと教えられてきた。
いま、みんなの鼻に迷惑をかけてしまっている。申し訳なく思うが、どうすることもできない。
祐介は目立つのが嫌いで、いつも他人の目を気にした。
いま、みんなは自分をあえて見ないようにしている。視線を感じないが、意識は感じる。
自分が情けなく、恥ずかしくなった。
身体が熱を帯び、顔は赤くなる。隠れるようにうつむいた。
せめて、恥ずかしいと思っていることだけでもバレたくない。何も気づいてないバカなやつと思われる方がマシだった。
ノートを睨みつけて、夢中で考えごとをしているフリをする。
フリでなく実際に、意識を逸らしたかった。これまでにハマったゲームを箇条書きしていく。記憶を辿ることに全神経を集中させる。
意識が現実に戻る度、心臓が痛くなる。
祐介は必死に戦った。

授業が終わるとすぐに、青木は友達に向かってこう言った。
「ねぇ、マジヤバいんだけど!ワキガの自覚ないってどういうこと!?」
友達は苦笑いで返事をする。
祐介はまた恥ずかしくて赤くなる。
それと同時に疑問が湧いた。
『ワキガってなんだ?』
とりあえず学校を抜け出した。

帰りに夢中で調べまくる。自分がワキガだとすぐにわかった。
散々調べていくうちに、両親に怒りが湧いた。遺伝したのは仕方ないとしても、なぜ教えてくれなかったのか。知っていたらケアできた。あんな目に合わずに済んだのにと。
もう今後は二度と同じ想いはしないと誓った。

⭐️

この記憶に祐介は相当長い間苦しんだ。
だが今では青木に感謝している。それまで誰も指摘してくれる人はいなかった。心と口が一体化していた彼女のおかげで、初めて気づけた。
常識が欠けている人間を理解するのは難しい。しかし悪気はなく、ただ無知なだけの場合もある。祐介がそうだった。

彼は当時を振り返りながら、どうしても思い出せない記憶がある。自分の行動が解せない。
なぜその後も登校し続けたのかが分からない。中学のときみたいに、引きこもらなかったのはどうしてだろう。
自分は昔からメンタルがクソ雑魚だ。
恥ずかしさによる暴力で心はボロボロになった。同級生に臭いやつと認識された。向こう3年間、ワキガのレッテルを貼られると確定した。
雑魚メンタルの自分には耐えられそうにない。転校してもおかしくはない。

人はうつ病になると、記憶力が下がるらしい。不快な出来事から自分の身を守るためだという。
当時の祐介にも防衛本能が働いたのだろう。どんな想いで教室に戻ったのか、今では全く分からない。
1つだけ分かる。彼は正しい選択をした。


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