最近はインバウンドの方が多くなりました。都会の賑わいは言うまでもありませんけれども、ちょっと田舎の方へ参りましても「おや、こんなところまでおいでだ」と驚きます。
やっぱり円安が関係しているんでしょうね。我々はこれまで、アジア圏でお得な旅行をしてきました。どうやら日本も仲間入りをしたようです。日本でお金を落としてくれるのはありがたいんでしょうけれども、なんだか好き勝手荒らされているようで、ちょっと悔しさも感じております。
少子化やら、IT化やらで他国に遅れをとっていますから、このままではトップを走るどころか、時代についていけなくなる。日本が貧困国と呼ばれる日もそう遠くないかもしれません。
貧すれば鈍するという言葉があります。私はこの言葉が大好きです。人の心理を上手く言い表してるなあと思います。
私の先生もこう言っておりました。
「いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」
聞いた話によりますと、強い情熱を持って活躍している起業家も、最初から大義をお持ちだったわけじゃないそうです。お金を充分稼いだあとになって初めて、他人を気遣う余裕が出てくる。人のため、国のために立派な目標を立てる。と、こういう順番なんだそうです。
人の役に立ってお金を貰う、人間それが1番の理想です。ただ下積み時代は誰にでも等しくある。足掻いて藻がいてあくせくしなくては、なかなかその領域に辿り着けるものではないのかもしれません。
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木村は仲間たちに誘われて、1ヶ月4人で暮らすことになった。家具なし6畳のワンルーム。
理由は主に節約と情報共有だ。みんなそれぞれ似たような目標を持つ。一言でいえば『逆玉に乗る』ことである。1人では険しい道のりも、みんなで励まし合えば進んでいける。
4人の誰もまともな職に就いていない。むろん、経済的に余裕がない。切磋琢磨するにもまず飯が要る。高楊枝で戰はできぬ。最低限の生活用品も必要だ。みんなは知恵を絞った。
仲間の1人、羽田は情報屋だった。部屋に家具はまだ1つもない。特に電子レンジがないのに困った。羽田が3千円でフリマアプリから買った。毎晩みんなでホットミルクを堪能した。我々は普段、その機械の偉大さを忘れてしまっている。いったいどれほどの価値を人類にもたらしたか。電子レンジを発明した人間を、8番目の福の神に据えてもいい。特に貧乏人は冷えきっている。ありがたみが切実に心身に沁みた。
羽田はさらに、4千円の布団セットを見つけ出した。届いた布団はペラ過ぎて、クッション性など微塵もない。もはや雑魚寝と変わらなかった。それに3月はまだまだ寒い。フローリングの冷たさが堪える。そこで仲間の1人が名案を閃いた。用の済んだダンボールを数枚にバラして布団の下に敷く。厚紙はクッションにもなり、温もりにもなった。貧乏人にとってダンボールほどありがたいものはない。
2人目の仲間、真田は採集屋だ。近所の公園の木から、謎の柑橘を大量に摘んできた。淡黄色でソフトボールほど大きい。腹を空かせた皆んなは喜んだ。しかし皮が硬く、なかなか剥けない。思いっ切り親指に力を入れてつっこむと、案外中身はスカスカである。身が小さいため、いくつかまとめて食べる。うっぷす、不味い。甘みがなく、シケた酸味だけある。全く食えたもんじゃないが、空腹よりはマシだった。身体に悪い柑橘などあるものか、と吹っ切って飲み込んだ。
3人目の竹田はモノ拾いが得意で、ある日炊飯器を抱えて帰ってきた。ご近所さんに捨てられていたのを見つけたらしい。機能に不備はなく問題なく使える。古くなって買い換えたのかもしれない。贅沢な人がいるおかげで、貧乏人のお金が浮く。竹田は実家から送らせた米を炊いて、皆んなにご馳走した。
S区は豊かな人が多いようだった。食器やハンガーを『ご自由にどうぞ』と置いておく親切な家もある。むろんありがたく頂戴した。
無念にも、我々に経済は潤せない。だが代わりに、エコロジカルへの愛があった。
最後は木村だ。ダンボールを布団にする名案を閃いた人物でもある。彼はマチアプで五十半ばのオバさんと仲良くなった。有る事無い事を電話で語り、最寄り駅に呼びつける。赤貧に喘ぐ大学生木村のためにと、手作りのハンバーグを持参してくれた。さらに祐介は彼女の優しさにつけこむ。同士たちのためにも、とカレーを作らせることにした。彼女もなかなか苦労人らしいが、そんなことには構っていられない。食材やらおつまみやらを買ってもらう。皆んな大変だろうからと、お米も多めに買ってくれた。
料理は美味い。それに久々の手料理が懐しかった。皆んな帰ってくる前に、木村1人で平らげてしまった。
ロクデナシ4人の共同生活である。
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