近年、若者の童貞率が高まっているらしい。インターネットの普及で、1人で家に籠っていても退屈しないからかもしれない。
ここにも1人、スマホに集中している男がいる。彼は最近、Youtubeで女にモテる方法の研究を始めた。

五条祐介は童貞である。高校を卒業して4年になるが、定職に就いたことはない。実家から近い農家で、軽いアルバイトはしていた。それも1年前に辞めてからは、引きこもってゲームばかりしている。近頃は、そのゲームにも飽きつつある。
彼は22年間彼女ができたことがない、と言っている。正確には高校1年のとき、2時間だけ彼女ができた。ただ彼はそれについて沈黙を守っている。

祐介は最近、女にモテるための解説動画をたくさん見始めた。それに実際に行動もしている。
その一つは、生まれて初めて美容室に行ったことである。昔から祐介は床屋が嫌いだった。1000円カットのおっさん達に、驚くほど短くされてしまう。長めにと頼んだ要求は、ことごとく無視された。翌日学校に行くのが恥ずかしくて、死にたくなったこともある。女子にも散々からかわれてきた。
高2くらいで、自分でカットするようになった。セルフカットの技術はYoutubeで学んでいった。今まで周りにバレたことはない。 Youtubeによる情報革命は偉大である。嫌いな床屋に行かないで済むし、お金もかからない。非常に合理的だと満足していた。

しかし最近、モテ解説動画で「1000円カットやセルフカットをしてるようじゃモテない。今すぐ美容室を予約して、流行りの髪型にしろ。実際に行動しなきゃ今のままだぞ」と脅された。今の祐介はモテを渇望している。素直に従うことにした。ただ美容室を予約するまでに、不安と緊張で2時間以上かかった。

いろいろ調べた甲斐あって、気さくな担当者と初回で出会えた。母親以外の女とは、まともに会話できない祐介である。優しそうなメンズを指名した。似合うように、とオーダーしたら勝手に切ってくれる。ついでに眉毛も整えてもらえた。嫌いな床屋と違って気楽なもんだと感心した。最後にワックスで仕上げてもらう。鏡の向こうの祐介は、小ざっぱりとして清潔そうに見える。ただ本人の反応は案外普通であった。髪型への期待が大きすぎたからだ。それよりも、実際に行動できた自分を誇らしく思った。
美容室を出た瞬間、陽の眩しさに思わず目を細めた。冷房で冷えきった身体には、猛暑の空気も心地よい。



最近、彼の意識がモテに向いたのには、こんなキッカケがあった。
ある日の祐介は、近所のショッピングモールをブラついていた。特に用事もなく。通り過ぎる人達をただ眺めて歩くだけである。
彼にとって人間観察は飽きない遊びである。学生時代、シャーロック・ホームズに憧れた。それからは、人が身につけているものを観察するようになった。ホームズはこんなことを言っていた。
「ある人が身につけているもの(服・鞄・帽子・その他全て)は、その人の趣味趣向の表れである」
祐介も観察するときは「なぜ」と問う。なぜ、ロゴ入りTシャツを着ているのか。なぜ、派手な帽子を被っているのか。なぜ、平日の昼間に1人で歩いているのか。なぜ、あのイケメンはあんなブスと付き合っているのか。

カップルを見るのは童貞の祐介にとって辛い。だからカップルはできるだけ避けるようにしている。ただ、美男ブ女カップルにはとても興味がある。あの男前な顔があれば、他の選択肢もあるだろうに。何か事情があるのだろうかと推測せずにいられない。彼は幼少期から好奇心が強い。できることならイケメンに話しかけて聞いてみたいとすら思う。そんな勇気もコミュ力も、もちろん持ち合わせていないけれども。

平日の昼間にもかかわらず、モールには若い人が多かった。夏休みの学生らしい。盆地の夏は暑い。誰もが薄着になる。童貞祐介はひそかに興奮している。人間観察に1番適した季節は夏である。

彼は、2階から1階を見下ろしている。前屈みでスマホをイジっている女性を、ぼんやり眺めていた。胸元から淡い色のブラがほんの少し見える。

祐介は派手な子が苦手だ。彼女らは夏でも冬でも薄着である。祐介によれば、薄着の目的は男の目を集めるためにあるらしい。バレバレのエサを投じる女と、それに飛びつく男達を祐介は軽蔑している。
彼は大人しい女の子がタイプである。芋くてコミュ障であればなお良い。男を求めていないような女の子が好きなのだ。この趣向はおそらく、童貞コンプレックスによるのだろう。

階下の女は、小柄で大人しそうは可愛らしい子であった。前髪重めのセミロングで、地味なワンピースを着ている。肩掛けのトートバッグを小脇にぎゅっと挟んでいた。
彼女は、ふと正面を向いて微笑んだ。近づいて来たのは小太りのブ男である。髪はボサボサで重め。黒縁メガネの奥には魚のようなギョロ目がある。それに声が異様にデカい。


祐介にとって、美女芋男カップルを見るのは非常に辛い。なぜ、あの可愛い女の子があんなブ男と付き合っているのか。羨ましいというよりは悔しい。とても悔しい。

祐介は自尊心が強い。平均的な顔であるが、自己評価は結構高い。それだけに、自分があの男より劣っているような気がして苦しくなる。あんなブ男に負けているのかと思うのは悔しい。きっとアイツは、なにか姑息な手を使ったんだろう。可哀想に、俺ならもっとあの子を幸せにできるのに。

少し冷静になって考えた。「あの2人はきっと大学生だ。あの子とは大学で知り合ったんだ。俺にも出会いさえあれば、ああいう子と付き合えるのに。やっぱり素直に私大に行ってればよかった。俺にも出会いさえあれば、、、」
ふと、スマホで社会人の出会いについて調べてみた。たまたま見たサイトには、こんなふうに書いてあった。
「以前まで、社会人が異性と出会うためには、職場か知り合いの紹介しかなかった。しかし最近では、マッチングアプリがはやっている。思い切って始めてみると、あなたにもきっと良い出会いがあるだろう。リンクはこちら」

祐介は悔しさを胸に、すぐ自宅に戻ってYoutubeで情報をかき集めた。清潔感の大切さとその正体。メンズメイクの仕方。自信と余裕。マッチングアプリ攻略法。実際に行動しなければ何も変えられないこと、など。

これが祐介の意識を変えたキッカケである。あのブ男のことを思い出すと、悔しさと同時に力が湧いてくる。アイツにできるなら俺にもできると。
自分を他者と比べ、嫉妬するのは辛い。ただ、ときに強烈なエネルギーを生み出すことがある。

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