おじ専jkがおじさんと友達になって学んだこと
彼とは、Twitterでしりあって、今ではお互いの悩みを相談し合うような関係で、全く恋愛感情的なものはないし、相手もそんな目で私を見てないなくて。ほんとうにただの年の離れたネ友的なやつだ。彼と過ごした1年の中で、おじ専の私が学んだことことは沢山ある。
こまめに連絡、なんてことは不可能であること。
私はまだ学生で誰にLINEを送ってもその日には確実に返事が帰ってくる、数分で帰ってくる、それが大人にも当てはまるものだと私は勘違いしていた。私は好きな人とするLINEが好きだ。社会人の相手は私のために会いに来てくれるわけでも、いつも会えるわけでもないからLINEはたった一つの心が満たされるものだったから。3分おきに、そんなわがままを言うつもりはなくても、1日たっても返事がなかったり、朝私が送ったおはようのLINEへの返事が夜中のおやすみだったり、次の日の朝のおはようだったり、ちょっと寂しいな、なんて思ってしまう。でも私は学生、相手は社会人。これから私が恋をしていく中で相手との関係はこのようになることがほとんどだろう。この連絡問題はきっとずっと、解消されることはない。年の離れた大人に恋をすることとはそうゆうものだと、受け入れる強さが私には必要だと気付かされた。
私の感情を全て受けいれられてしまうこと。
これに関しては別にいいじゃん、それがいいんじゃんと言う意見も出てくることだろう。でも私はこれが一番気をつけなければならないことだと思う。というのも、私は彼に何度も、幸せな気持ちも不安な気持ちも不満も怒りも全部伝えてきた。彼は私が酷いことを言った時悲しんだろう、不満に思っただろう、きずついたろう。それでも彼はいつも言う、俺はおとなだから、君の全部を受け入れなきゃいけないからね、と。私はその言葉を聞く度に、あぁ。やってしまったと後悔する。例えば同い年の友達に酷いことを言った時、相手は怒ったり、泣いたりするだろう。でもそれを彼がするとは決してない。私ばかりが感情的になってあいてはずーっと、冷静。コンクリートの壁にパンチをするぐらいに、冷たく、意味の無いこと。でも、それでも、彼がコンクリートの壁でも、確かに痛みを感じるだろう。優しすぎる相手は優しくない相手以上に大切に、慎重に付き合っていけないものなんだと感じた。