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「文字を書くこと」は、吸い上げられたくない。|星占い的思考を読んで
昨日、石井ゆかりさんのことを記事に書いたのをきっかけに、最新の著書を買って読んでみました。
文学作品から一文を引用し、それをもとに各12星座や、時代を読み解いていく、という内容です。
これが、まあ〜〜〜〜むずかしい!
まったくすんなりとは読めませんでした。
文学も、漢字も、表現も。自分は知らないことが多すぎる!それから「読む力」が無さすぎる!と、いい意味で自分にガッカリさせられました。
まだまだ読んでいる最中なんですが、すごく気になった一説があります。
一人一人の人間は、より大きな集団の一部となることで、より小さな力を担うことになったのではないか。いわば、地の星座的な力、生産力や自然と直接関わる力を、人間集団に「吸い上げられた」とは言えないか。
「風の時代」「地の時代」なんて言葉を聞くけど、それってなに?という話をしている章での一説です。
たとえば、一昔前の人類は、自分で火を起こすことができましたよね。
そうしないと火を使えないから、否が応でも「火起こし」を習得していったわけです。
しかし、年月が経って技術が発達していくと、「マッチ」とか「ライター」が開発される。
すると、人はその部品を生産したり、組み立てたり、販売する仕事につくようになる。
こうなると、人は「自分で火を起こす技術」を失いますよね。その代わりに、パーツを点検するとか、組み立てるとか、小さな力を担うようになる。
これを、「人間集団に力を吸い上げられる」と本文では表現されています。
もっともっと身近な例でいえば、「文字を書くこと」もそうですよね。
子どもの頃は、ひたすら漢字をノートに書くことで覚えてました。なんども練習して、例文を書いて。
それが、もっと時代が進んだら、完全に必要なくなるかもしれない。
「漢字を書く」という技術は、パソコンやスマホにタイピングして、変換すればいいのだから。
これは、吸い上げられることが「良い」「悪い」という話ではなく、そういうことが起こってるよね、というだけの話です。
だけど、私は想像してみてゾッとしました。
新しい技術が生まれると、過去のものは自然となくなっていく。そして、過去のものがふたたび主導権を握ることは、決してない。
これは、しょうがないこと。そうやって人類は進化してきたから。
畑で野菜をつくるとか、海で魚をとる、みたいな、生きることに直結した技術。
私には、どちらもない。
「手に職がない」怖さ。
無人島に投げ出されたら、きっとなんにもできないであろう無力さ。
この本を読んでいて、自分は集団にいることで何とか生きているんだな、と改めて痛感しました。
それと同時に、毎日手帳に「文字を手書きする」という自分の習慣は、吸い上げられないよう、しがみついている行為のように思えてきました。
紙とペンが存在する限り、私は文字を手書きすることができる。
漢字を忘れても、調べて書くことでまた覚えることができる。
そうできる間は、必死にしがみついてみよう、という気持ちになりました。
わからない漢字も、なるべく調べて手書きできるようになろう、って。(いずれ無意味になるのかもしれないけど)
・・・いつか、人間は本当になんにもできなくなってしまう時がくるんだろうか。
文字も書けない、自分の家までの道もわからない、電話番号もわからない、名前もわからない。
なんか、本当にそうなりそうでゾッとします。
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