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感情は書き換えられるのか?

先日、他県で暮らす今年後期高齢者になる父が脳に関する事で検査入院→退院をした。その事で母とLINEのやり取りをしていたのだが、こちらの質問に対する回答らしきものは全く返ってこず。

きちんと読んでないだけなのか?それとも、今回の件をまだ受け入れられずはぐらかしているのか?「質問の答えになってないけど?」と返すのも何だか嫌で、体大切にしてね~と締めくくってひと息ついた。

何とも言えない気持ちのままぼんやりしていると、母との過去の色々な事が思い出されてきた。当時の私は進学や就職のナーバスな時期に放たれる母の意見は、全部貴方にとって良いものでは?と感じアドバイスとは受け取れずにいた。

しかし人生100年時代と言われるなら約半分になろうとする今の私が改めて記憶と向き合ってみると、決して私を困らせたり不快にする為の言葉ではなく、全てが母なりの愛の表現だったんだとほんのり理解できる。そう思うと、少し温かい記憶に書き換わり感情も変化しそうな気がしてきた。

こうやって折に触れてまた思い出すだろう様々な記憶。それをまたあれは愛情だったんだよねと繰り返すうちに、あんな風に色々アドバイスしてくれたよね!となったら完全に書き換わったんだろうなぁ、なんて妄想。

離れて暮らす高齢の両親との今後の事や実家のモノの多さを思い出すと、一筋縄にはいかんだろうなあと現実に引き戻される猛暑の昼下がり。

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