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2023年10月の記事一覧
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 10
10 『三年目』と三瀬 4
「宿場が薄暗くなり、坂田屋、秋田屋、越後屋など、おはるが働いている茶屋、常盤屋、その向かい角にある京夫の石塚五郎助の店などが、軒下の行燈に灯を入れる頃になっても、西空にはまだその日の名残りが残っていることがあった。」
『三年目』という作品は、『豊浦地域史資料』(正、続二編、小野泰編、豊浦地域史資料刊行会)を傍らに置いて読めば、作品の雰囲気をより深く楽しむことができ
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 9
9 『三年目』と三瀬 3
作品は、全集でわずか4ページの小品です。鶴岡市三瀬を舞台に、鶴ヶ岡の城下から三瀬に至る矢引(やびき)峠、三瀬から温海方面に抜ける笠取峠、八森山越え、そして途中に当たる小波渡。田川街道を南下して木ノ俣、小国を経て小名部に至る道。あるいは小国からに出るルートが紹介されています。
17の歳の晩夏、茶屋づとめのおはるは男と約束をした。「三年待ってくれ、かならず迎えにくる」と
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 8
8 『三年目』と三瀬 2
作品には、時代の雰囲気を伝えるものとして馬がよく出てきます。
「いま宿場に着いたばかりにみえる旅支度の人間や、馬を曳いて馬宿に行く馬喰(ばくろう)らしい男などが、影絵のように動いていた」、さらには「空馬を曳いた馬子(まご)が、莨(たばこ)をふかしながら通りすぎたあと、通りはしんとしてしまった」など。
三瀬は古くから宿駅として栄えた町で、旅籠には厩舎があった。
「海が
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 7
7 『三年目』と三瀬 1
鶴岡市三瀬(さんぜ)を舞台にした『三年目』という作品は、地形はもちろん家並みの一軒一軒を史実に基づいて描いた毛色の変わった小説です。昭和五十年、藤沢は善宝寺、加茂、油戸などを舞台にした『龍を見た男』の取材で海岸沿いを訪れましたが、三瀬まで足を延ばしたらしい。いわば、『龍を…』の姉妹編とでもいえる。小説の完成度からいえば、むしろ『三年目』を挙げたい。
茶屋の「常磐屋」で
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 6
6 『蝉しぐれ』と霧
美しく描写される霧も、持つ意味においては例外でない。『蝉しぐれ』の冒頭近く、こんなくだりがあります。
「いちめんの青い田圃は、早朝の日射しを受けて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残りの霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光を受けて、かすかに赤らんで見える」(『蝉しぐれ』)。
農村の原風景とでもいうべき、美しい描写です。そうした情
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 5
5 『小川の辺』と『一茶』と霧
「不安」を示す霧は、他の作品にもよく出てきます。一、二上げてみよう。短編『小川の辺』では、藩士を斬って脱藩した妹の亭主を上意討ちにするため旅に出る主人公。藩命を遂行するにせよ、返り討ちに遇うにせよ、いずれも気の重い立場なのです。その朝、城下はやはり霧が立ち込めていました。
さらには、歴史小説の代表作の一つでもある『一茶』で、遺産をめぐる争いを仕掛け、信濃国・柏原
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 4
4 『風の果て』と霧
『風の果て』という作品では、霧が重要な役割を担っています。主人公・桑山又左衛門の心理を、霧に託して見事に描いています。こんな例があります。
「女中のちよが膳を下げに来た。『おや、霧が入って参りました』とちよは言った。その声で顔を上げると、廊下に白い霧がうずくまっていた。霧は消えるどころか、外の闇を満たしただけで足りずに、家の中まで入り込んできたらしい」(『『風の果て』)
藤沢周平と庄内藩の歴史『義民が駆ける』、霧の小説群、そして『三年目』と三瀬:英語対訳 3
3 『義民が駆ける』あらすじ 2
荘内藩を長岡に、長岡藩を川越に、川越藩を荘内に移す三方領地替えという形で突如幕府から国替を命じられた荘内藩は、藩主酒井忠器、世子忠発、その他藩首脳、商人本間光暉、佐藤藤佐らがそれぞれの立場から善後策を練ります。また、荘内藩農民たちは江戸に上り諸大名や幕府役人に直訴を試みます。
将軍家斉はおいとの方から川越の庄内移封の望みを聞かされ、老中首座水野忠邦に命じました