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ヒロアカ33巻を読んで…。【ネタバレ注意】




どうも、左のこめかみ辺りにニキビが出来たねずみです。







「僕のヒーローアカデミア」33巻を読んだ。



※【ネタバレ注意】ここから先はガッツリ本編の内容やセリフなどに触れていくのでまだ読んでない方や知りたくないって方はアウトをよろしくおねがいします。

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A組や雄英高校がヴィランに狙われる可能性があることを考えたデク(緑谷出久)は一人雄英を離れ、プロヒーローと共に隠れながらヒーロー活動を行っている。心身共にボロボロなデク。大切な人たちを守るため、ボロボロな己を奮い立たせ、孤独に戦うデクの姿はヒーローではなくヴィランのようだった。そんなデクを助けべく動き出すA組が主に描かれている33巻。







突然だが、私はヒーローものをあまり観るタイプではない。

決して嫌いなわけでも苦手なわけでもない。ただ観てない。

世界中に熱狂的なファンがたくさんいるヒーローシリーズ「MARVEL」もほぼ観たことない。スパイダーマンはシリーズ1(初代?)のみ。あとはアイアンマンをちらっと程度。つまりヒーローという人たちを詳しく知らない。



ただピクサー作品「ミスター・インクレディブル」は何故か家にDVDがあり、やることがなく暇だった小さい時、何度も観ていた。

(だから私の中でヒーロー=ミスター・インクレディブル)


そして2018年?19年?頃に上映した続編「インクレディブル・ファミリー」を観たとき思った。





ヒーローってなんだろう。って。







「ヒーローとは、英雄のことと、神話や物語などの主人公のこと。ヒーローの多くは、普通の人を超える力・知識・技術を持ち、それらを用いて一般社会にとって有益とされる行為、いわゆる救世主としての行為を行う。」                

Wikipediaより抜粋










デクのクラスメイトで雄英受験日に出会った麗日お茶子の言葉。

「ヒーローが辛いとき誰がヒーローを守ってあげられるだろう」












「インクレディブル・ファミリー」の敵、通称スクリーンスレイヴァー。

そのスクリーンスレイヴァーのセリフで

「このゲームまだイラスティガールの勝ちではない。負けを先延ばしに出来ただけのこと。そして彼女が必死で戦っている間、お前たちはお菓子を食べながらただスクリーンで観ているだけ。自分で動くことなくスーパーヒーローに戦わせ疑似体験して満足している。自分で話さずにトークショーを観て、自分で参加せずクイズ番組を観る。旅、人間関係、リスクを取らずあらゆる大事な経験は離れた場所からスクリーン越しに眺めるだけだ。辛いことから逃げ、自分からは動かない。ただ欲しがり消費するだけでソファーから立ち上がることはしない。汗をかこうとせず、人生を生きようとしない。スーパーヒーローに守って欲しいというのは自分たちが弱いものになるということだ。誰かの保護がないと生きられないというのと同じ。自分たちの要求を満たしてほしい、権利を守って欲しいと求めるだけ。便利なシステムがニッコリ笑いかけながら大事なものを奪い続けているというのに。さあスーパーヒーローに私を止めさせろ。お菓子を食べながらスクリーンでその様子を観ているがいい。お前たちを操っているのはスクリーン。このスクリーンスレイヴァーだ。」

というのがある。

(敵にこれを言わせたピクサーさん。本当に尊敬です。)





「インクレディブル・ファミリー」の物語は

’’ヒーロー’’と’’そうではない人’’というテーマもある気がする。






普段ヒーローものを観ない私だけど「インクレディブル・ファミリー」を観てから薄っすら考えていた。


ヒーローだって人間。超人的な力を持っていても、魅力的な個性があっても心臓を刺されたら息絶える。


お茶子ちゃんが言ったようにヒーローたちが辛いとき誰がヒーローを守ってあげられるのか。誰が笑顔にさせてあげられるのか。誰が支えになってあげれるのか。




ヒロアカ33巻でその答えが出た気がした。








デクを連れ戻したA組。そのデクたちを待ち受けるのは雄英に避難してきた人たち。「死柄木の標的がデク」ということを耳にしている避難民たちはデクを雄英に入れることを拒否する。プロヒーローが説明するも恐怖と不安で更に非難される。そんな避難民たちへお茶子が精一杯気持ちを伝える。

そして、1話にも登場していた(あとで知った)おじさん。

「俺は客でヒーローたちは舞台のうえの”演者”だった。(省略)だが舞台は取っ払われちまった。そン中で今残って戦う連中は何のために戦ってるんだ?今戦ってる連中まで排斥していって俺たちに何が残る!?どうやってこれまで通り暮らす!?辛ぇのはわかる!けど冷静になろうや!俺たちいつまで客でいるつもりだ?」


っと言う。









ヒーローというのは物語の主人公のことも示す言葉。








小さい頃、ヒーローに憧れた。人のために戦い、助ける姿がカッコよかった。悪と戦うヒーローだけじゃない。物語の主人公にはきっと誰しもが憧れると思う。


しかし経験や知識、エゴが我々を”大人”にする。


自分は主役じゃない。私はヒーローにはなれないといつしか夢見ることも忘れる。夢見ないことが日常になり、慣れてしまう。



あの頃は知っていた。

空の飛び方も、魔法の使い方も、おとぎの国の住所も、目をあけて夢見ることも。









ヒーローたちが辛いとき、ヒーローが笑えないとき、ヒーローが立ち上がれないとき。私たちがヒーローを守る。ヒーローのヒーロー。



つまるところ、人への思いやりが繋がっていけば、ホークスが言っていた「ヒーローが暇を持て余す笑っちまうくらい明るい未来」が来るんだなって。








結局の話、この世界は…いや宇宙は愛で出来てるってことだね!

(↑まとまらなくなりそうでこのままだと永遠と書き続けられそうだから無理矢理にでもまとめようとしたよ☆)







フィクションですよ!空想の物語ですよ!それを現実世界に持ってこられても…って思うかもですが私はフィクションの、作りものの、架空の物語こそ現実世界より現実だと思ってます。


ウォルト・ディズニーの言葉でもあるように。

「ファンタジーと現実はしばし重なり合う」

(ウォルトさんの中で一番好きな言葉です)









”ヒーロー”と”その他”ではなく、私たちもヒーローであって。

”主人公”と”モブ”ではなく、自分の人生の主役は自分だから。




っとなると、ヒロアカ1巻、オールマイトの

「君はヒーローになれる」


って言葉も深みとか感動とか更に出ちゃうね(涙)










ヒーローが暇を持て余す、笑っちまうくらい明るい世界が来るように明日からも笑って思いやって生きていく。まずは私一人から、そしてこれを読んでくれたあなたへ。そのあなたからまた誰かへ。そうして世界へ繋がっていってほしい。

宇宙は愛で出来てるから。








雪が降る寒さ。風邪には気をつけてね。



最後に。

昨日も今日も明日も、ずっとこの世界で戦ってくれてるヒーローたちに心から感謝と尊敬の念を込めて。

では、また🐭


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