生きてきたことを、忘れないために忘年会はあるのだ
思えば忘年会って、そもそも、乱暴な立て付けの催しだと思う。「1年が終わるから飲みに行こうぜ」なんて、理由があるようでないようで、なかなか無理のある企画とも感じる。
それでも、コロナ禍においては、1年1年を無事に終えるだけで、大したことに思える。生きる難易度がぐっと上がってしまったし、人がいなくなることに対してナイーブになった。
いろいろあったけど、水に流して忘れようぜ、というよりは、お疲れ様、どうだった?と、忘れないでおくために、会って互いの足跡を確かめ合うような時間を、忘年会でできればいいのかな。
おもむろに、忘年会についてつぶやいた自分のSNSをサーチしにいってみたら割と楽しんでるpostが多かった。
これは昨年にやった忘年会のようす。コロナ禍の合間をぬって行われたのが懐かしい。Wasei Salonさん、お招きいただきありがとうございました。
そして、この写真は5年前の忘年会だ。まだ36歳。懐かしい顔ぶれがいっぱい。ぎゅうぎゅうになってお話をしたなあ。何を食べても美味しい、良いお店だった。
暮れのさしせまった中、室内に集まって、乾杯し、労い合い、たくさん話をして、店の外に出た時の、あの寒さ、澄んだ空気。自販機でペットボトルの水を買って飲み干し、アルコール濃度を後追いで薄める。帰り道、すこんとさみしく、まあまあ酔っ払っていて、でもその気分だけは残そうと芸のないpostを毎年のようにしていた。
2009年とか、27歳だもん。がんばってたよね、あの頃の自分。当時の仲間たちと労い合いながら、必死に句読点をつけるように、集まってお酒を飲んでいた。下手な飲み方しか出来なかった。
集まる意味合いが年齢とともに変わってきてる気がする。ところで、このあいだ、ミスチルを聴いていたら「旅人」という曲(めちゃ好き)にこういう一節があった。
1996年の歌なんだけど、サビ前のこの、ふとしたフレーズが耳に残った。他人とはいえ、生き物が寄り添うように、同じ場所に集うことでの暖かさってあるなあと思う。
数年ぶりに顔を合わせて一言ふた言を交わすだけで、じんわりとしたうれしさが胸に広がる、そんなシーンが今年は沢山ありました。主催した催しに足を運んでもらったり、地方へ会いに行ったり、過去数年と比べても、誰かに会うために活動する時間が増えたし、足取りは力強くなった。
ところで、渋谷にある紹介制のバーを貸し切りにして、オフ会をするようになって3ヶ月が経とうとしています。だいたい月1の開催で、のべ70名に参加いただきました。えらいことです。ありがたい。
来月、12月16日に忘年会を、おなじ会場でやります。こたつラジオグッズのあたるビンゴとか、やろうかと思っています。今の時代にこそ、逆に、シンプルなビンゴゲームをやりたい。ビンゴの機械を買わなくちゃ。
暮れの最中ではございますが、今年の締めに、乾杯をしたいです。よろしければこちらから、お申し込みください。さいきん、参加者数がすくなくなってしまっているので、えいっと応募して下さると僕の元気がでますので、よろしくお願いします。