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自己紹介

はじめまして。東京在住、1974年生まれのアラフィフ事務職OLみきです。
気づけば25年、事務職やってます。
人生の半分近く事務職やってること、今書いて気づいた・・・。
このnoteは、Webデザインを学ぶ日々を綴ろうと始めました。

とはいえ、「あんた誰?」「アラフィフ事務員がなぜ今さらWeb?」状態なので、まず初めに、Webデザインを目指すようになった経緯をからめて自己紹介したいと思います。

■「“手に職”願望」は氷河期・発

大学入学当時は、就職率の良い大学に入ったので、入っちゃえば就職は楽勝!と思ってた私。

・バブリーな就活体験談に安心してた1992年
大学1年の時、「内定先企業から他を受けないよう、内定式の日に拘束でディズニーランド連れていかれた」などバブリー・・・じゃなかった、羽振りの良い話を4年生の先輩から聞いていたので、うぇーい♪と楽観的になって、当時流行ってたディオールの青みピンクのリップを塗って、コンパ三昧なお気楽大学ライフをエンジョイ(←死語)してました。
(そして、のちに自分が、青みピンクはNGカラーなイエベ・春タイプと知る。そういえば後輩君に“唇青ざめてますよ、寒くないですか?大丈夫ですか?”と真顔で聞かれてた💦)
↓青みピンクは、この色Death!

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・あっさりバブル崩壊した1993年
ところがその翌年、バブルがあっさり崩壊。ガラリと様相が一変し、就活戦線がいばらの道と化したのを、秋になっても就活先が決まらない女子の先輩を見て悟りました。
さらに自分の就活の年には激化。ベビーブーム頂点の学生数最多年代というも相まって、狭き門度がUPしたではありませんか!!
会社説明会の情報は男子学生にしか来ない。ので、友人に情報を回してもらい、まずはSE職を片っ端から応募。

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・「手に職」願望は氷河期がモト
SE職を目指したのは、就職氷河期の厳しさを、ひしひしと感じていて「いつクビになっても大丈夫なよう、手に職付けたい!」と思ったから。
この「手に職」志向は氷河期就活で生まれ、染みつき、Web制作に惹かれた要素の一つとなっています。

・50社受けて通ったのは2社!
SEは筆記試験で片っ端から落ちまくりカスリもしなかったので、事務職に方向転換。50社応募して受かったのは2社のみ。その中の1社、医療機器メーカーに就職しました。

「やりたい仕事」なんて選んでたら就職先なんて決まらない。そんな時代だったなぁ。
当時は携帯電話も普及してなかったので、公衆電話に学生が列をなして並び、会社に説明会予約電話していたのも懐かしい思い出ですw

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■医療機器メーカーにやっと就職

怒涛の就活を経て就職したのは、医療機器メーカー。コロナで一躍有名になったパルスオキシメーターや、AED、患者監視モニターなどを製造している会社です。

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・カタログや提案書作成でデザインの楽しさ実感
最初の配属は、販促部門。カタログや提案書などの販促ツールを作る仕事を7年ほど担当しました。デザイン会社に依頼するため、カタログのページ割やキャッチコピーなどを考えたり、それをパワーポイントでレイアウトするのが楽しくて、デザインに興味を持つきっかけとなりました。

・製品の取説制作が天職と思えた・・のに
その後、製品の取説を制作する部署へ異動。実際に医療機器を触りながら操作手順を整理して文書を書いたり、InDesignを使って組版したりする仕事を8年。
「見やすく、分かりやすく、簡潔に」情報を整理するのがこれまた楽しくて、天職と思えるほど没頭。
ところが、そんな天職仕事は、サラリーマンの宿命「部署移動」により、突然終わりを告げます。

■ブラック部署でWebに初めて触れ大苦戦

異動先は、海外へ自社製品を販促する部門。
海外向けのカタログ作成や、海外展示会の展示企画に加え、海外の代理店向けWebサイトをリニューアルする発注担当となり。
これが、血反吐を吐くほど、めちゃくちゃ大苦戦!!!

・初心者にはハードル高し!なサイトリニューアル要件
リニューアルするWebサイトは、

● 1人の担当者がコーディング。記述が古い&独自
● ゆえに、その人しか更新できない&その人が部署異動
● 卸価格等社外秘を載せているので、機密保持契約前に外部に見せられない
● ので、構造を見せて見積依頼が出来ない
● 入っているサーバーが老朽化して1年以内に倒れる

という難題案件。かつ、
「誰でも記事を投稿できるCMS化」が、課題だったもの。

そもそも、Webなんて見る専門で、ノー知識だった私。
CMSも、何それ、おいしいの?状態。
なので、見積りを取って(しかも相見積)、制作会社を決める時点から分からないことだらけで大苦戦しました。

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・「制作会社の言ってる言葉」の意味が分からない問題を救った1冊
「HTMLで作った100ページ程度のサイトをCMS化する見積をください」
と制作会社へ見積依頼すると「動的ページと静的ページはそれぞれ何ページですか?」とか、「要件定義は?」等、意味が分からない事を聞かれ、慌てて本を買ったり。


2013年当時、辞書のように脇に置いて読みまくった本。
もう情報古いかもだけど、すごくWeb制作を発注する上で役に立ちました。↓

この本を見ながら

・サイトマップをExcelで作成
・ページごとに入れる要素をパワーポイントで作成(ワイヤーフレーム)
・移転するサーバーのスペック検討
・セキュリティ対策を取締役たちに説明する資料づくり

など、手探りで作ったり、
制作会社とのやりとりで分からない事は調べたり、Webディレクターさんに聞いたりしてました。
(とても親切に答えてくれて神対応✨でした。しかも、WordPressの教科書という、その企業で出版した本までもらった💖)

・社内の「Webサイトなんて簡単につくれるだろ」問題にぶちあたる
地味に、でも一番大変だったのが、社内調整。
「Webサイトなんてちゃちゃっと作れるんだろ」と、Web制作をパワポの資料作りくらいにしか思ってなくて、日程や工程に無茶を言ってくる上司や同僚に対して説明したり、要望をまとめたりする社内調整が一番大変で、何度も魂が体から抜けかけました。

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「コーディング段階に入ったらデザイン変更はほぼNG!デザインの段階でレイアウトについては意見ください」
と口を酸っぱくして言ってるのに。

コーディングに入って、動きが出てからレイアウト変えろと言ってきたりとか。。Webの知識ゼロの人たちが「Web=簡単に動く→作るのも簡単」と思っている壁をぶち壊すのが、とっても大変でした。

(その時は、「家を建てるとき、柱や壁が完成して壁紙貼ったり窓取り付けてる段階で「柱の位置を変えて」「この窓、やっぱりあっちに変えて」と言ってるくらい大変な変更なんですよ、それ」と言って説得しましたが)


・Web知識ゼロのくやしさ→「もっと知りたい!」に変化
Web知識ゼロだったですごく大変だった分、
「もっとWebのことが分かってたら・・」
という思いも沸々と芽生え、Webについて学びたくなったと同時に。
職場の上司がブラックだったのも相まって、WordPressでのリニューアルサイトが完成したと同時に、燃え尽きて会社を退職。
そのままWebデザインスクールの昼間コースを受講します。

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■退職して40歳でWebスクール入学

入学したWebスクールは、1日5時間×週4日×4か月という、短期集中型。
クラスメイトはハタチ~28才まで、ALL20代。
趣味でWebサイト作ってる猛者ばかりが集まってました。

片や私、唯一の40代、しかもHTML&CSSの知識ゼロ。。
最初、アウェイ感、半端なかったなぁ~。。
(でも、明るく優しい20代女子が声をかけてくれました💖感謝!)

・コーディング知識ゼロ・スタート→必死な授業
知識ゼロで臨むには、結構大変なクラスでした。
というのも

・HTMLとCSSを分かっている人対象
・それを踏まえたうえで授業が進行
・教材なし。「HTML・CSSタグ辞典」という辞書みたいな本1冊のみ
・しかも、早口で説明。メモ禁止

と、教材なしで口頭説明(しかもハイパー早口)だったので、とにかく「理解する」以前に「遅れずについていく」のに必死!
メモ取っていると「メモを取るな!手を動かせ!」とスパルタなことを言う先生だったので、メモもほとんどできず、理解度が浅いまま進みました。。

・編集ソフトのお勉強になってた・・
さらに、Dreamweaberというソフトを使ってコーディングしていたので、ソフトの操作方法は覚えたけれど、自分で一からコードが書けないレベルでした。
コードは、自分で書いた方が、絶対覚える!

デザインについては、ちょっとフォントについて触れたのみで、どうやってデザインをするかが分からないまま卒業となりました。

■今思えば「無謀」しかない、Web業界転職活動

そんなレベルで、無謀にもWebのお仕事での転職を目指したのです。
Web転職狙うも全敗。無知ほど怖いもの知らずなんですね。

ポートフォリオサイトも作らず(作り方分からず)
Webスクールで作ったサイトの画面キャプチャをパワポに貼って、紙のポートフォリオを作って転職に臨みました。
制作会社ではなく、企業のWeb更新担当や、ECショップのバナー作成担当などに応募しましたが、私のスキルが低すぎて全落ち。

最近Twitterなどで、「未経験からWeb業界転職」した方の体験記事を読むと、いかに自分が準備不足で甘かったかを思い知らされ、脇汗が止まらないです。。

恥ずかしさしかない、当時のポートフォリオ(紙)

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■事務職派遣スタート→副業を模索

結局Web業界転職が全滅だったので諦め。
正社員での事務職転職に切り替えるも、うまく行かず。
派遣社員として働き始めたのが2014年の暮れのこと。
非正規雇用は安定していないと思った私は、副業を模索し始めました。

・副業を色々模索し、SNS集客開始するも、、
どんな副業があるのか検索していた所、
「SNSを使って起業!」という「SNS起業女子ブーム」を知り。
Facebookやアメブロを立ち上げ、色々な副業を試してみたりしました。

アメブロのブログヘッダーデザインや、パワポでのちらしデザイン、セミナー資料の作成代行、カメラやレンズのせどりetc
けれど、やっぱり確たる技術がないので、
あまり売れませんでした( ;∀;)。
(SNSで知り合って、リアルでお会いした方が買ってくれた(人''▽`))

・副業解禁→副業でWebデザイン系の可能性に気づく
2017年頃から大企業の副業解禁で副業ブームが訪れるとネット界隈で副業の情報が増え。
未経験からフリーランスでWebデザイナーやっている人や、
スキルマーケットでデザイン販売をする人がいる
ということを知り。
一度諦めたWebデザインの夢が、再燃!

「制作会社にこの年齢で就職するのは無理」
と思って諦めていた私にとって
個人でバナー作成やコーディングを提供している人がいる
という事実は、とても魅力的に見えたのです✨

■40代最後のWebデザインチャレンジ!

そんなわけで、
「もう一度、きちんとコーディングを勉強しよう」
「きちんと、デザインを基本から学ぼう」
と思うようになり。

色々検索した結果、
クリエイターズ・ファクトリーという
オンラインでもコーディングとデザインを学べるWebスクールを知り。

「卒業がないWebスクール」というキャッチコピーがバキュン!と刺さり、
オンライン4期生として入学することにしました。


授業開始は10月なのに、オンライン教材は9月から利用できて、びっくり!

さらに、利用して分かったことは

☑ 教材がめちゃ分かりやすい
☑ 本には書いていない制作現場で役立つTipsなどが豊富
☑ 常に作った物へのフィードバックをもらえる体制
☑ 相談できる環境が整っている
☑ 質問すると、確実に回答がもらえる&回答が早い

などなど、受講生としては至れり尽くせりな対応。
これで挫折するようなら、Webデザインの道を諦めます( `ー´)ノ

そんなわけで。
これから学習を進める過程も、このnoteに随時UPしていきたいと思います。
40代のラスト・チャレンジ!
がんばります♪

長文お読みいただき、ありがとうございました!!

#クリエイターズ・ファクトリー
#Webスクール
#Webデザイン勉強中

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