愛犬の旅立ち 後編
17年近くも共に過ごしたらての死は家族にとってそれぞれの受け止め方があった
東京生活が長い息子はらてとここで暮らしたのは3年
あとの13年は帰省すると会えるワンコ
ただ、息子とらては私たちとは違う強い絆があったように思う
息子が帰ってくるとらてはずいぶん喜んで、家の中ではほとんどべったりくっついていた
息子のあぐらの中で寝たりソファに寝そべっている息子の体の上に乗っかって寝たり、触って欲しいと催促したり、手や足を舐めたり
息子が東京に戻ってしまうと布団の上でカミカミしたり、ケージに隠れて出てこなかったりすることもあった
そんならての死は息子にとって、私の想像以上に堪えたようで、普段滅多に電話などかけてこない息子が仕事の昼休み中に電話してきた
もうそれだけで悲しみの深さがわかる
かけずにいれなかったのだろう
「お母さん大丈夫?」と聞いてくれたが息子の方が辛いのだ
「悲しいよ」とカスカスの声で言い、泣いているのが分かった
その声で私も泣いた
「らっちゃんは頑張ったよ、だから悲しまないであげて」
というのがやっと
娘2人は県外に進学していないため結婚するまではずっとらてと一緒、2人とも近くに住んでいるため頻繁に家に寄ってくれた
次女はまだ幼い子ども2人を育てているが、らてのためにいつも時間を割いてくれた
長女も2人の子育ての過程で、イベント毎に子どもらとらての写真を撮ったり、目の見えなくなったらての公園散歩を勝って出てくれたりした
らての最期は急ではなく、徐々に訪れ、事実をしっかりと認識しながら迎えたので私や夫、娘たちは幾分冷静に受け止めはしたものの、それぞれのらてとの思い出はやはりそれぞれのもので、静かに悼んでいたような気がする
出産前まで動物看護士をしていた次女はらての死後、丁寧なエンゼルケアをしてくれた
開眼したままの姿をどうしようかと思っていたら「アロンアルファで閉じてあげよう」とササっと処置してくれた
口腔内もきれいにし、体を拭き、ブラシで整え、肉球のスタンプも残した
まるでスヤスヤ寝ているようで、いつまでもここに置いておきたいと思う程、らては綺麗だった
息子が帰って来るまで、と延ばした葬儀には結局息子が高熱を出したため、間に合わず
私と次女、次女の子ども、義姉、で見送った。
寂しいけれど、ホッとした
これ以上のことを望むのは酷だとも思っていたから
動物を飼う
ということは愛情と責任と覚悟がなければ成り立たない
私は結婚するまで犬嫌いで、犬と暮らすだなんて考えられなかった
そんな私が義実家にシュナウザーがいたことで犬慣れし、やがて犬好きとなり、子どものおかげで40代で初めて犬との暮らしが始まって、17年弱
従順な犬が可愛くて、毎日が楽しくて、何度も訪れる家族内のいざこざも救ってくれる犬が愛しくて
犬からもらった幸せを今さらながらかみしめている
ただ、我慢強く言葉を発しない犬のちょっとした不調や異変にすぐ気づけることは飼い主には必須で、自分の時間を割いて迷わず病院に連れて行ける姿勢も大事なことだと思う
らてはペット保険には入っておらず9歳までは狂犬病の予防注射、数種のワクチン、フィラリアの薬をもらう程度でしか病院のお世話になることはなかった
その後、今さらですが、と避妊手術を受けることをオススメされ、スケーリングと抱き合わせのオペ、その後小さな乳腺腫瘍の局所麻酔オペ、歯周病による2回の抜歯を受けたくらいで大病はなかったため病院代はあまりかからなかった
16歳を過ぎてからの腎不全や甲状腺機能不全に対する療法食と投薬は亡くなるまでの半年間続いたがそれも1ヶ月1万強くらいだった
血液検査が加わると内容により5000円から10000円くらい加算されたが頻繁ではなかった
良心的なドクターは年齢や症状により調整してくれていたのだと思う
それでも、その病院代を誰もが惜しげもなく支払えるかというと疑問だし、ドクターからは老犬で不調があると海外の方はわりと安楽死を希望されることが多いと聞き、何とも言えない気持ちになった
ドクターも「正直僕もそんなふうには割り切れないので苦しまないことは前提で、できることはしてあげたい」と言って下さった
良いドクターに巡り会えたんだなぁと思う
終盤の点滴も病院に連れて来ないで自宅でやれるよう配慮してくれ、有り難かった
また、老犬になっても、足腰が弱くなってもシャンプーを受け付けてくれるペットサロンとの付き合いも大切だ
長くお世話になったペットサロンは「いつまでもやってあげるよ、その代わりシャンプー後に何かあってもごめんね」と言って、らてもギリギリまでシャンプーをしてもらえた
こうして考えるとらてに関わってくれた全てのことが良かったなぁと思う
らては幸せだったかな
きっと幸せだったよね
私にとって生涯ただ一匹のわんこ、らて、本当にありがとね