私がマネタイズをする理由
結論から言います。
【私がマネタイズする理由。それは、義母に恩返しをしたいから】です。
2020/2/5深夜
Twitterの中で出会った恩師に、人生観を変えてもらった話をします。
まず、この記事を読みに来てくれて、本当にありがとう。
ちょっと長くなっちゃうかもしれないけど、
多分これを読みに来てくれたひとは、きっと私の親しい人、これから親しくなる人だと思う。
だから、あなたに最後まで読んで欲しいなって、心から思うの。
そもそも「マネタイズ」ってなに?
って人も居るよね。
簡単に言うと、マネタイズっていうのは、ネット上での収益化のことを指します。ビジネスモデルって言い換えると理解し易いかなと思います。
唐突だけど…
あなたは「マネタイズ」って聞いてどう感じましたか?
「興味あるけど、難しいもの」
「才能がないと、出来ないこと」
「やれるものなら、やってみたいこと」
「ネットでお金お金っていうなんて汚いこと」
私はね……
上の気持ちをぜーんぶ思ってたのが本音です。
興味はある!でも、稼いでる人たちみたいな才能がない。実績もない。知識もない。
やれるものならやりたい。けど!
お金が欲しいって言うのは汚いことに感じて後ろめたい…。
これが、マネタイズに対しての嘘偽りない私の本音だった。
あと、もうひとつ。
ずっと恥ずかしくて言えてなかった本音を聞いて欲しいのです。
私はマネタイズしてどうしたいか?っていう夢、目標。
私は、お義母さんのパートを辞めさせてあげたいんだ。
それで、もっともっといっぱい楽しい所に連れて行ったりして、少しでも良いから恩返ししたい。
主人や息子に、節約料理ばかりじゃなくて、いっぱい美味しいご飯を食べさせてあげたい。
家族に我慢ばっかりさせる生活を辞めたい。
…随分身勝手でわがままな夢でしょう?
Twitterの中の皆は…なんていうのかな…
大きくて素敵な夢を持ってる人達が、眩しいくらいキラキラと輝きながら、毎日その夢に向かって努力をしてる。
正直、そんなキラキラ輝くみんなの中で「自分の義母のパートを辞めさせたい」って言うのが、とても恥ずかったの。
でもね、それを
「素晴らしいことじゃないですか」
って肯定してくれたひとが居ました。
Twitterの私の大切な恩師「拓さん(@takusan_soudan)」
拓さんが、私になんて言ってくれたのか。
どんな風に気持ちが変わったのか。
その事を話す前に、お義母さんがなんで「恩人」なのか?
私の半生の話を聞いて欲しいのです。
まず、お義母さんに恩返しって言ったのは、お義母さんは私の命の恩人だから。
私が物心ついたのは、おそらく2歳過ぎくらいのこと。
私の実の母親と父親は、私のことが嫌いだった。
いわゆる家庭内暴力がひどくて…
両親のことを思い出したら喧嘩してる姿が思い浮かぶくらい。
家庭環境は決して良くはなかった。
それに加えて、7歳年下の妹が出来たのは、私にとって地獄の始まりだった。
両親は…妹のことは随分可愛がった。
溺愛だった。
妹が生まれてきてくれた時、私はとてもとても嬉しくて、大切に思っていた。
だけど、妹本人も家庭内で馬鹿にされる私を見て育ち、次第に私にきつく当たるようになった。
居場所も逃げ場も、どこにもなかった。
私が両親が若い時に出来た子供だったから、当時の父と母は親として未熟だったのもあるかも知れない…と、自分も大人になった今なら考えることも出来る。
でも、当時の幼い私には、なんで私だけが家族の中で嫌われてるのか?
疎まれてるのか?
どうやったら私も妹みたいに愛してもらえるの…?
私はこんなに母さんと父さんが大好きなのに…!
ただただ悲しくて、寂しくて…小さい頭でずっとずっと考え続けたの。愛してもらえる方法を。
愛してもらうために、たくさん色んなことをしてみた。
…でも、愛してはもらえなかった。
高校は受験すらしなかった。
家計が厳しかったのはよく知ってたし、高校受験させて貰うお金をかけてもらうより、たくさん働いて、家計を助けたかった。
今になって思うけど、お金を稼げれば頼ってもらえる。
愛してもらえるって期待してしまってたのかもしれない。
中学一年生の私は、それくらいしか思い付かなかった。
大好きな家族に愛してもらうための、精一杯の足掻きだったんだと思う。
結果、お金を入れれば喜んで貰えた。
バイト帰りには母がご飯を作って待ってくれてたりした。
もうね、嬉しくて嬉しくて。
…でも。とても不思議なんだけど…
やっと得られた「喜び」と同時に、今までなかったはずの、行き場のない「怒り」の感情も同時に育った。
あんなに求めた「愛」は「お金」で買えるようなものだったのか、と。
きっと私は「無償の愛」が欲しかった。
母からの愛をお金で買えると知った時、喜びと同時に
自分は「無償の愛」を受けられる人間じゃないんだと知り、無意識に絶望もしたんだと思う。
お金で優しくして貰えた時間は、長くは続かなかった。
お金を入れることがどんどん当たり前になって。
元の環境に…ううん、もっとひどくなっていった。
働き始めた15歳当時、母は不倫し始めた。
これ以上母に嫌われたくないがゆえに、理解ある娘を演じた。
不倫を公認しているように振る舞ってしまった。
自分のことが情けなくて、苦しくて、悔しくて、父の顔がまともに見られない毎日が続いた。
16歳、父に母の浮気が分かり、離婚する事になった。
私のことを引き取りたいとはどちらにも言われなかった。
どちらを選ぶのも本当に申し訳なかったのを覚えてる。
せめて引き取ってもらった方には、迷惑をかけられない、って感じた。
結局私は、親権は父に持ってもらい、でも何故か同居するのは母というおかしな状況になった。
17歳、がむしゃらに働いた。
母が携帯ゲームにハマり、月十万近くもの請求が来るようになっていたので、なんとかしないと…と必死だった。
18歳、中卒ではあったけれど、なぜか気に入ってもらえて、もし良かったらうちに働きに来て欲しいと言ってくれた会社に、正社員として雇って貰えることになった。
母は金銭を更に要求するようになっていた。
入ったばかりの正社員の仕事でいっぱいいっぱいだった私は、家事が疎かになっていった。
母は「お前は病気の母親に優しくない!」と包丁を持ち出すようになり、妹にも罵声を浴びせられる毎日。
ただ生き抜くことで精一杯になった。
母の機嫌が悪いときには、下着で外に出され、野宿した。
私はこのまま死んじゃうんじゃないかと毎日思った。
19歳、ひとりの人と出会った。
私の状況を話しても、引かずに「辛かったね」と受け止めてくれるひとだった。
私が怖い目にあってないか?
ずっと心配し続けて愛してくれる優しい人。
後の夫となる特別な人との出会いだった。
彼の家庭はとても愛で溢れていて。
お邪魔させてもらう度、見ず知らずの私にいつも愛情をくれた。
「よく耐えたね。辛かったね」
受け入れてもらえる喜びと安心感に、もう限界をとっくに越えてた私は、ただただ救われた。
そんな状況ではあったけど、何故か私は毎日元気だったし、心の底から、周りのひとが大好きだった。
両親のことも愛してた。
…多分。きっと。今でも愛してる。
色んなことを勉強した今なら分かる。
きっと私の【人を好きになる力】は、凄いことなんだと。
人一倍生きたい気持ちが強かった私は、ある時母が、自分の彼氏に私が色目を使ってる。お願いだから死んで欲しいと頼まれた。
今こうやって文字にしてみると「ん?」って感じだけど、当時の私は、今生きてるのが本当に申し訳なく感じてしまった。
初めて、ああ…それじゃあ死のうかなって思った。
母の為に死んであげられるものなら死んであげたい。
だけど…私は死ぬのが心の底から怖かった。
ずっと身近に「死」を感じ続け、考え続けてきたからこそ、私は「死」がとてつもなく怖かった。
意識が飛び飛びだったから、どうなったのかは覚えてないのだけれど、気が付いたら彼の家に居て、私はお義母さんと他愛もない話をしてて。
…でも、どんなに笑いながら話してても、ずっと心の中はズキズキざわざわ苦しくて。
お義母さんは、何かを察したのか「とりあえずご飯食べよう」と、作ってくれてた親子丼を私に手渡してくれた。
「わぁ〜美味しそう!お義母さんありがとう。いっただっきまーす!」と、親子丼をひと口食べた。
義母の親子丼はただただ【暖かかった】。
元気に食べたのに。笑顔で食べたのに。
ぽろぽろぽろぽろ
次から次へと涙がこぼれた。
わけもなくどんどん流れる涙を止められなかった。
お義母さんは、一緒に泣いてくれた。
何も言わずに。ただ一緒に泣いてくれた。
あぁ…私やっぱり死にたくないな。
大好きな彼やお義母さん達と、もっともっと一緒に居たいな。
やっと私にも居場所が出来たんだから。
作ってくれたんだから。
そう思えた。思わせてくれた。
だから。お義母さんは「命の恩人」なのです。
長かったのに、私の半生の話を読んでくれてありがとう。
そう、そんなことがあったから。
お義母さんには返しきれないほどの恩がある。
そんなお義母さんが今、
おばあちゃんの介護があって。
孫が3人も一気に産まれてお休みの日でも、いつもハードスケジュールで。
肘や膝が痛い中、毎日パートに行って。
大事な家族のために毎日早起きしてお弁当を作ってる。
本当に倒れそうになるくらい忙しい日々を送ってるお義母さん。
そんな中でも、いつも私たちの心配を変わらずにずっとしてくれる。
せめて私はパートくらい辞めさせてあげたい。
少しでいいからゆっくり自分の時間を楽しめるようにしてあげたい。
だから「お金という手段」が欲しい。
やっと分かった本音。
冒頭に触れたとおり、私はそういう個人的で身勝手な「マネタイズしたい理由」が恥ずかしかった。
拓さんは、笑わずに、真剣に聴いてくれた。
「素晴らしいことじゃないですか」と肯定してくれた。
ここからが、人生観が変わった話。
「みきてぃ、お義母さんとの残された時間って考えたことある?」
お義母さんは若々しくて、どこに行っても「お姉さんかと思った」と言われるくらい見た目も心も美しいひと。
とてもじゃないけど「残された時間」なんて、微塵も想像した事がなかった。
「今お義母さんは51歳。一緒に旅行に行ったり、お出かけを一緒に楽しめるのは、大体75歳くらいまで。みきてぃ、あと24年しかないよ。」
驚きすぎて、言葉に詰まってしまった。
仮に私がマネタイズに今年から成功して、年に1回旅行に連れて行ってあげられるとしても、たったあと24回?
今すぐ成功しても、まだまだ足りない!
頂いた恩は、そんな小さなものじゃない!
恥ずかしがってるような場合じゃない…!
頭がグルグルなってる私に、拓さんは続けた。
「みきてぃは今、マネタイズしたい理由が恥ずかしいって言ったけど、【両親に恩返ししたい】って思ってる人は、絶対たくさん居るよ。恥ずかしいことなんかじゃない。むしろ素晴らしいことじゃないですか。」
勝手に私はすごく個人的で、わがままな夢だと思い込んでた。
【両親に恩返ししたい】想いを持ってるのは、私だけじゃないはずなのに。
他の人の夢として聞いたら、こんなに素晴らしいことはないと思えるようなことなのに。
ずっとずっと小さく隠れてた殻の中から、私を見つけて、出ておいでって暖かい手を差し伸べてもらったような。
そんな感覚になった。
そうやって、人生観を変えてくれた。
そんな恩人が、仲間たちが、居てくれるこのTwitterという世界で言わせて欲しい。
私の決意表明。
背筋を伸ばして。凛とした大きな声で。
今読んでくれてる、あなたにちゃんと届くように。
【私がマネタイズする理由!それは、命の恩人である義母に恩返しがしたいから!】
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