教祖と信者

先日、大学の教え子の卒業生と飲む機会があった。
昔話に花を咲かせたわけだが、卒業し社会人となった彼らの目を通した大学の授業とレッスンには考えさせられるものがある。

学生というのは実によく観察しているものだ。今日履いていた靴、着ていたシャツ、何気ない言葉の端々。何もかも。そしてこちらが思っている以上に影響を受けている。
「先生のあの一言で私の人生が変わりました。」
というのにこちらは全く記憶がなく、こんな覚えてもいない一言が人生を左右したとしたら、何というか、その…まぁ人の言うことは話半分で聞いておけと思うのだが。

しかし特に驚いたのは
「僕が一番調子良くプレーできるのは先生がピアノで伴奏してくれる時だ」
と言っている生徒が結構多いという。
何とも複雑な気持ちになる話だ。確かに僕のピアノ伴奏が上手くいっているときは生徒のプレーも調子が良い。しかし逆に言えば「もし僕がもっとピアノが上手く弾けたら、彼らはもっと上達するに違いないのに」といつも思う。ちょっと難しい曲ともなると、僕のピアノはといえば酷いものだ。
良く言えばそれだけ生徒との間に信頼関係を築いている訳だが、彼らはいずれ僕からも大学からも離れて行く。

特に音楽を模索するこの年頃は影響も受けやすく、誰かに心酔してしまいがちなもの。心酔される方も気分が良いのでそういったコミュニティーのボス然として振る舞う、という光景はよく目にする。まるで小さな教祖様のように。しかしそのような場からはあまり良いミュージシャンは育たない。良いミュージシャンはきまってそこから飛び出していった者達だ。

生徒を信者にしてはならないし、教師は教祖になってはならない。

彼らに公正な音楽的学びの機会を与えるためにも、せめてもうちょっとピアノは上手くなりたいものだ。  

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