33歳のわたしから、24歳のわたしへの手紙①
※こちらは「〇〇」(✳︎✳︎社)の特集ページにて行われた1万字インタビューの元となった内容をテープ起こししたものです。
振り返ってみると、2021年から下積み時代を始めたなと思います。ちょうどその時コロナになって1年ちょっとで新しい生活様式にも若干慣れてきた頃、おうち時間を過ごすのにも飽き飽きしていたりして、本業の他に新しいライターの副業やったり、飲食店でアルバイトしていたりしたんですよ。
その時はたしか24-25歳くらいだったと思うんですけど、将来の夢とか全然決まって無くて、ただなんとなく「文章を書く人になりたい」とばかり思ってました。でも実際、小説家なのか、脚本家なのか放送作家なのか作詞家なのか、まあ色々ありますけど、どの職業に就きたいかとか全く明確じゃないうだつの上がらない日々だったんですね。
端から見るともしかしたら、君は仕事や住む場所にも困らず、東京で友だちもたくさんいる状態なだけで幸せかよ、って思う人もいるかもしれませんが、やっぱり自分の中では、それが生きるってこととは違くて。そう思うのにも、当時の自分の周りには、俳優を目指す友だちとかビジネスでトップ取ると決めた人とか、自分の将来の目標に向かってひたすらに歩む人が多くて。うーん、その、大変ありがたくていつも自分を鼓舞させてもらってるんですけど、その一方でめちゃくちゃ焦るんですよね。自分には目指すものが何もないって。その孤独は耐えられなくて、めっちゃ働いたり、友だちと遊んだり、どうにかしてしんどい時間を埋めてました。
その下積みと言っていいんですかね。その時間を1番過ごしたのは、高校の演劇部の時の同期の子なんですよ。いまその子も有名な女優さんなので、あえてキリンちゃんって名前で呼びますけど、時が来たら対談しましょうね、ほんともうずっと言ってますけどソウルメイトですから。
当時はキリンちゃんもわたしも社会人で、しっかり世間の荒波に揉まれていて、これからどうしようなにしようみたいな話を下北沢の焼き鳥屋さんで終電ギリギリまでしたり、夜中の間ずっとLINEで電話をしたりしていて、振り返ると、というか当時も意識してたんですけど、あれは青春でした。あれはわたしたちの人生にはなくてはならない時間でした、とかいって。いやこの「とかいって」これは高校生の頃のそのキリンちゃんの口癖で、面白くて真似したりしてました。
すみません、話逸れちゃったんですけど、そうですねそれくらいの時期ですかね、わたしがメディアの世界で食べていこうと覚悟を決めたのは。だからいまこうして、わたしのエッセイを読んでくださる人がたくさんいるわけで、ほんとにありがたい話です。ありがとうございます。
だからまず将来何したいかわからない人には、とりあえずいろんなことをやってみることをおすすめしたいです。ちょっと漠然としすぎてますかね。あとは自分の心の声を大切にして、とも言いたいです。これこそ難しくはあるんですけど、わたしもそうですね、その2022年の6月だったかな、新卒で入った会社を辞めて、あ、ちなみにその会社めちゃくちゃ好きで、上長もほんとに素敵なビジネスマンで仕事辞めるかかなり悩みましたよ。それで2022年の6月末くらいだったかな、確か祇園祭の頃だったんで7月入ってたかな?その頃に、ずっと住みたいと思ってたら京都に住み始めたんですよ。親も高齢だったので、反対されたんですけど、学生時代に1年間だけ京都にいた時に、川田先生っていう教授に「自分は親の縁を切ってでも退路を断ってきた。君にはその勇気はあるかな」って授業終わりに言われたのがすごく頭にこべりついていて、行かなきゃだめだと思って、京都に向かってましたね(笑)
まあいずれは、京都に住む運命だったので、それを25-26歳で選択できたのはすごくよかったな、と思いますね。
そもそも京都に行くこと自体は、その前の年にはふわっと決めていたので、いろんな出版社さんのライターとかアルバイト募集とかにひたすら応募して、経験を積もうと思ってました。いろいろ出してなんとか見つかってそれから10ヶ月くらいはそこでお世話になりました。本業に、副業のライター、土日は飲食系アルバイトに加えて、編集部でアルバイトしていたので、もうほんとに忙しくて、何百回も寝たいしんどい苦しい、って思ってたんですけど、そこで頑張れたのってやっぱ、「ぜったいに人と違うことをする。文章で有名になるんだ」っていう強い意志があったからだと思うんですよ。将来何になりたいかは決まってなかったんですが、「当時から人と違うことをしたい」「人とは違う思想を持ちたい!教祖になりたい」そんなことを考えてました。いやいやそんな危険思想とかじゃないですよ。
他のインタビューとかでも言ってるんですが、作家の中村文則さんがほんとに大好きで、わたしにとって彼は教祖なんですよ。本だったり、音楽だったり、演劇だったり、そういう媒体って時に宗教みたいな強いパワーの拠り所になれるっていうか、そう言った意味で教祖になりたいってずっと言ってました。