普通にできない、わたしのヘアカラー史
初めて髪を染めた日、わたしは18歳でした。
歩いて行ける洋服屋に「アルバイト募集を見てきました」と言ったら「学生はダメ」と一刀両断され、髪を染めることにしました。
「みかんちゃん」爆誕
アパートから徒歩数十秒の場所に美容院がありました。
「予約してないんですけど」と、おそるおそる入っていったわたし。
「どんなふうにしますか?」と聞かれて、
「ミカン🍊みたいにしてください」と答えました。
ブリーチを2回の後、オレンジ色のヘアマニキュアを。
その日、わたしは「みかんちゃん」に生まれ変わりました。
ユニットバスで頭を洗うたび、オレンジ色のお湯が排水溝に吸い込まれていくのは、なかなかユニークな体験でした。
その日以来、美容師さんに「みかんちゃん」と呼ばれるようになりました。
「ボニー」から「桜木花道」への変遷
当時は、歌手のボニーピンクさんが真っ赤なボブスタイルで活動をしていました。
ミカン色が落ちて来た私は「チョコレート色にして」と、例の美容師さんに頼みました。ちょっと落ち着いた色味、なおかつ好きなモノということで。
そのチョコレート色が落ちていき、現れたのは「赤」。そして、ボブスタイルのヘアスタイル。
秒で「ボニー」と呼ばれるようになりました。(ただしH君のみ)
その後、実家へ帰る正月に、赤い髪色だと何かと良くないと思ったので、髪を染め……ずに、赤い部分をカットすることにしました。
じゃんじゃん切りました。
最終的に、坊主頭になりました。それでも、やっぱり赤いのが残ってしまったので、「赤い坊主頭」ということでバスケットボール漫画の主人公「桜木花道」と呼ばれました。(誰だっけな、呼んでたの笑)
なんとなく茶髪
就職をしてしまうと、髪色はなんとなく茶髪でした。
「明るすぎるわよ」と、上司に言われるぐらいには、気持ち、悪ぶっていました。
そもそも、子供の頃、茶髪に良いイメージがありませんでした。なんでだろう。茶髪にするのが流行り出したころだった?なんか、みんな茶色くするのなら、茶色にするのは嫌だなという気持ちもありましたね。
いとこがコカ・コーラで洗髪をして、髪を脱色していたという噂です。逆に、今コーラで洗髪とかして動画サイトにUPしたらバズりますかね?
緑が好き
去年あたりから、インナーカラーにグリーンを入れるようにしました。
高校時代の担任が「お前は緑がほんとうに似合うな」と言ってくれた影響を、いまだに引きずっているのです。
今年のラッキーカラーはレインボーらしい
インナーカラーに「レインボー」。
四緑木星のラッキーカラーと雑誌に書いてあって。
ネットで調べたカラーや、オルビスの「パーソナルカラー診断」の結果を担当してくれている美容師さんに見せたところ……
「あとは、ぼくのセンスで」ということで。
いわゆる「オレ色に染められた」のでした笑。
変わりたいのは「アイラブユー」と自分に言いたいからかもね
高橋研氏の「Hallelujah,I love you」という歌の中に「違うからだで生きてる僕」という歌詞があり、聞くたびに泣きたくなりますね。
髪を染めるのは、自分の好きな色にしたいから。自分を好きになりたいから。
自分が誰なのかとか、ものっすごくマジメに考えて、答えを出せずにもがいたりして。歳をとったのは「年甲斐もなく」生きるためかもしれないですね。
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