守られていること
こんばんは。
お盆に部活の休みを利用して帰省しました。
家族は誰も帰ってくるなって言わないし、むしろお母さんに至っては絶対に帰ってこいと口煩く言っていました。(だから帰っていいわけではない)
実家でひっそりとゆっくりと過ごしていたわけですが、お盆ということでご先祖様をおうちに招き(迎え火)、数日後に送り出しました(送り火)。
私が小学2年生の時、一緒に住んでいたおじいちゃんが亡くなりました。
なくなる日の朝までいつもと変わらず元気で、一番に家を出たおじいちゃんが帰ってきたときには危篤状態でした。
私は人生で初めて身近な人の死を経験しました。
小学生の私にはあまりに衝撃が大きすぎて、信じられないといった感じだった気がします。
もう15年も前の話なのであまり記憶にはないです。
それまでおじいちゃんのたくさんの兄弟のつながりで親戚が家に何人も集まっていた恒例行事もだんだん減り、いつの間にか可愛がってもらっていたおじちゃんおばちゃんのこともあまり思い出せなくなってしまいました。
私は誕生日がお盆なので、万年部活動に所属していた私でも誕生日に部活があったのは高校二年の時だけでした。
それ以外はみんな帰省したりで直接お祝いしてもらえず少し寂しかったのですが、私はお盆にはおじいちゃんやご先祖様がおうちに帰ってきて一緒にお祝いしてくれるんだって自分に言い聞かせていました。
生まれた時から家にはお仏壇があったし、お墓参りにも度々行っていました。
その分ご先祖様の力を感じることは多かったように思います。
(別に霊感があるわけではない)
でもどんな時でも、自分のことを守ってくれているという感覚はずっとあります。
亡くなった人だけでなく家族はもちろん、たくさんの親戚など私のことを周りで見守ってくれている人の存在に改めて気付かされた帰省でした。
同時に私は、周りの人を守る強さを持っていないと感じました。
自分を守ることに必死になっているんじゃないかなと。
いつ何時でも、周りの人に手を差し伸べられる余裕と、心の強さを持ち合わせていたいなと思います。
まだまだ一人じゃ何もできないなー
If I wasn’t hard,I wouldn’t be alive.
If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
人は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる意味がない
エンヤを聞くと神秘的な気持ちになるので今日はエンヤ様で
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