Book of Life :人生を本に例えてみるワーク② 京都時代
ライフコーチSさんとのセッションにて。
自分の人生を本に例えて、各章を描いてみるというワークをすることになった。
自分のこれまでをまとめてみた。
第二章をどうぞ。
第二章:京都時代《プライベートが充実した時代》
大学院をスラインディングで修了
アートの道を見失ってから、既卒になってしまい一年の暗黒期がやってきました。
しかし、結局は大学院に入り直して大学職員を目指すことにしました。
怖かったけど、恩師の人柄に安心し、浪人しましたが進学が叶いました。
試験直前まで、これで落ちたら道が無い、と追い込まれていた私の手を握って励ましてくれた父の支えをずっと忘れません。
大学院時代には、初めて彼氏ができ、たくさん教わり、支えられ、お別れがあり、半年の留年も経験しました。しかし、後から思えば、たくさんの学びがあり、その人との出逢いがあったから厳しい道も苦しさも乗り越えられたのだと思います。今では経験に感謝しています。
レファレンス・ライブラリアンという目標
院での研究テーマは学部時代のアート活動をまとめたものになり、いったんアート関連には終止符を。
とはいえ、研究と就活を両立できなかったため、またまた既卒になってしまっていた私。そこで、戦略を立てました。文系で院卒であることが有利になること、不安定なコンディションでもいつでもどこでもできる資格のある仕事。それを満たすのが「司書(=ライブラリアン)」でした。特に私が目指したのは、研究資料を探すのを手伝ってくれた大学の「レファレンス・ライブラリアン」でした。
そこで、たまたま近所に通信で司書資格を取れる大学のコースがあったので申し込み、浪人時代に勉強した公共図書館でボランティアを始めることに。たまたま、ボランティアではなくアルバイトの枠があると言われ、ライブラリアンへの道がスッと開けたのでした。不思議。
その後、フルタイムで大学図書館での臨時職員の枠を見つけ、初めて貯金ができるようになりました。初任給で父と母にプレゼントできたのが嬉しかった。大学図書館では、司書としての基礎である目録業務(図書の登録作業)、文献調査(論文をリサーチする業務)、カウンター業務をしっかり教わり、後々、あそこで基礎が身についていたんだなと感謝しています。
真夏にクーラーがない書庫で粉塵にまみれて書架整理に明け暮れたっけ。
家族と過ごしたかけがえのない時間
同時期に、姉が結婚・出産し、父が退職しました。父と京都で暮らし、姪の子守りを経験し、今思えばゆったり家族と過ごした時間がありました。
朝、京都御所を散歩したり、父といろんなお店に外食に行ったり。たまに父がカレーを作ってくれたり。マラソン好きな父が駅伝観戦で喜んでいたり。父の初めての京都マラソンを応援したり。いつの間にか甥が生まれたり。母も呼んで鴨川でピクニックしたり。数え上げればキリがないくらい思い出があります。
この時代があったから、父が亡くなった時にも後悔があまりなかったのかもしれません。たくさんの写真が残っていて、家族の変化を幸せに感じる日々が続き、宝物のような時代を過ごせました。お父さん、みんな、ありがとうね。
コロナがきて、数年は京都に行くことができなかったけれど、今では夏の長期休暇に一週間弱滞在して、好きなことを存分にしたり。ずっと大切な場所です。
今でもたまに、鴨川を自転車で走りたくなります。父とよく行った珈琲店の前を通ると、自然と涙が湧いてきます。長い学生時代を京都で過ごさせてくれた両親に、心から感謝しています。