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No.116 「私が棄てた女」/ 見るたびに泣いている映画

No.116 「私が棄てた女」/ 見るたびに泣いている映画

寡作の映画監督として知られる浦山桐郎は、生涯に僅か10本の映画しか撮らなかった。そのうちの1本、1969年9月封切り作品「私が棄てた女」は僕がもっとも好きな邦画である。これまでに映画館で3度観て、いずれも涙溢れた。その後長い長い間、再会を恋焦がれた。

作家遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」が一応の原作とされるが、映画のあらすじ、登場人物の設定などがかなり違っていて原作と呼ぶのに抵抗を感じる。僕は映画を三度観てから「わたしが・棄てた・女」を読んだ。映画の印象が強すぎたのか、20歳前半の僕には話が違いすぎる「原作」は楽しめないどころか、反発さえ感じた。

映画「私が棄てた女」は完成直後、配給元の日活の当時の路線と合わないとの理由で、完成即公開には至らなかった。いわゆる「お蔵入り」という扱いとなった。浦山桐郎監督の生き様や、この辺りの経緯は田山力也の労作「小説浦山桐郎・夏草の道」に詳しく描かれている。

浦山桐郎の前2作、吉永小百合主演「キューポラのある街」和泉雅子主演「非行少女」はいずれも映画評論家に賞賛された経緯もあり「私が棄てた女」のお蔵入りは、映画に夢中になりつつあった中学3年生の僕の記憶にも鮮明に残っている。

「私が棄てた女」の初見は1970年高校1年生の時だったと思う。故郷の映画館銀星座(僕の青春の映画館の一つだ)で観ている。何故、高校1年生の時と「思う」のか?若干の話のズレにお付き合いいただきたい。

大学浪人二年間は、僕の人生の中で一番映画館に足を運んだ時期だ(No.060No.061)。この二年間で300を超える映画を映画館で観ていて、この間に鑑賞した映画と、それ以前に観た映画は思い出しながら、ノートに題名(洋画の場合は原題も)配給会社・監督・脚本・キャスト・感想・参考・鑑賞日時・鑑賞映画館を記録しておいた。

僕の備忘録邦画ノートの最初を飾っているのが「私が棄てた女」であり、19××年×月×日銀星座となっているところからの判断であり、その下に1973年5月26日文芸坐(池袋文芸坐)となっているのは、この映画との再会の日と場所を示している。ちなみに3度目は記録していないが、連れ合いの由理くんと共に1976年頃銀座並木座で観た。並木座館内にかつてあった邪魔な太い柱と、由理くんの「凄い良かったわ〜!」の言葉が今も心に鮮やかに残る。

高校生の頃や20歳代の頃は、自分の好きな映画や、感動した小説などを熱く語り、友人知人に何の疑いも持たず、それらを観たり読んだりを勧めたものだ。いつの頃からだろう?自分の好きなものや感動したものを勧めることから、相手の好きそうなものや興味を持ちそうなものを勧めるようになったのは。これは「大人の分別」というものなのだろうか?

映画や書籍の評論は難しいと感じる。ここでも「私が棄てた女」の素晴らしさを説明したり、描写はしようと思えば何とかできそうな気もする。だが、それは何か自分の好みを押しつけることになったり、本質から離れた自己陶酔の描写の罠に陥りそうだ。

僕が評論の理想と考えるのは、音楽評論家の吉田秀和氏のそれである。音楽(主にクラシック音楽)の評論が、音楽以外の分野や芸術が持つ本質的な部分での音楽との共通点からの考察やら、作曲家や演奏家への愛情無くしてはなし得ない分析やらは、まさに深い知性と教養のみの為せる評論と思っている。

残念ながら今の僕には、吉田秀和氏の真似は到底できそうにない。

そうだ「大人の分別」を棄てて「私が棄てた女」を語ってみよう。

劇場公開から50年、2019年9月3日「私が棄てた女」が幻の映画復刻レーベルDIGから初DVD化された。昨年40数年ぶりに観た4回目の「私が棄てた女」にまたも涙した。「棄てられる女・森田ミツ」を演じた小林トシエが、新相馬節を歌う場面は本当に泣ける、海岸で踊る場面の笑顔は天使のそれだ。主演の河原崎長一郎も浅丘ルリ子も他の出演者もみんないい。

映画の好みの違う友人知人と語るのも面白いが、自分と好みが合い語る喜びはまた格別のものがある。昨日、5回目の「私が棄てた女」を観て、またも5回目の涙が頬をつたった。あまりの素晴らしさに、自分の書いたnoteの記事がみすぼらしく見えてしまい、連続投稿も95日で終了してしまった。これも、新たなスタートと考えよう。

20歳代の僕に戻り、何の疑いも持たず、あなたに僕の好きな映画を熱く語る。
浦山桐郎監督の映画「私が棄てた女」は素晴らしい、凄いよ、是非観て欲しいな。観た後、熱く語りあおうよ!語りあおうぜ!

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        映画感想ノート

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