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No.239 僕の本棚より(14)「遊びの博物誌」未知の世界の扉を開くふしぎの国の博物館!

「遊びの博物誌」朝日新聞の日曜版に、1975年(昭和50年)12月から1977年(昭和52年)3月まで63回に渡り掲載されたシリーズである。連載終了の四ヶ月後「未知の世界の扉を開くふしぎの国の博物誌!」と銘打たれた青い帯紙が目を引くA5横長変形版の書籍としても発売された。

筆者の坂根巌夫(さかねいつお)氏の知性に溢れた筆は、世界の様々な遊びを紹介するにとどまらず、その背後に秘められた人間の想像力にまで思いを馳せ、芸術作品や心理学、物理学など話題は多岐に渡り、日曜の朝のぼんやりとした僕の頭をガツンと刺激し続けた。

歴史上の人物や事件に関する資料や手紙のコピーなどを含む体裁の「本でない本」が、記念すべき第一回のトピックで、63回分の記事の全てが知的好奇心をくすぐるのだが、僕が特に刺激を受けたものをランダムに挙げてみよう。

音程の階段が上へ上へと上がり続けるように聞こえるも、いつまで経っても音程が同じところを彷徨っている感じの「無限音階」(今はYouTubeで視聴ができる)は、M.C.エッシャー(No.230)の不思議な絵画「無限階段」の音のバージョンだ。

「蝶番(ちょうつがい)」の原理を利用した玩具「ペタクタ・帯カラクリ」や「隠れびょうぶ」は、マジックの道具などにも応用されており、マジッククリエーターの鬼才菅原茂さんの「シースルーカード」は、この分野の一つの頂点を示したものと言える。(ちょっとマニアックすぎるかなあ)

横の長さが違う3枚の長方形の紙片に、妖精の上半身と下半身が描かれている。紙片を組み合わせると15人の妖精の姿が現れる。次に紙片の組み合わせを変えてみると、不思議にも妖精が一人減って14人になっている。この「消える妖精」や「消えるマス目」などの「図形消失パズル」は、様々にデザインされており、目にした方も多いと思われる。

ありふれた風景画の中に人の顔や生物のシルエットなどが見えてくる「隠し絵」の中には、社会的な風刺を込めているものや、人の深層心理を推し量る効果もあると、単に不思議な絵画を紹介するに留まらない坂根巌夫氏の筆の冴えに、何度唸らされたことか。

隠し絵の立体版とも言える「アナモルフォーシス・さや絵」や「カレイドスコープ・万華鏡」、直線が曲がって見える「錯視」、平面上で描かれた不可能な図形を実際に立体化しようとする試みなど興味の尽きない話が満載だ。

カナダに実在する「マグネチックヒル」は、どう見ても下り坂と見えるのに実際は上り坂で、停車した車が「坂を登る」感触を味わえるそうで、自然の偶然が織り成した「錯視」の空間で、観光地にまでなっているそうである。観光客の一人としてこの不思議を味わいたいと切望もしている。

白と黒の市松模様が少しずつ崩れてトカゲとなり、鳥と変わり魚に変容して街の姿にまで移り変わり、元の幾何学模様へと帰結するM.C.エッシャー(No.230)の傑作「メタモルフォーゼ」には目眩を引き起こされた。

裸体が集まって一人の顔を形造っている歌川国芳の「みかけはこわいがとんだいいひとだ」には不思議な笑いが出て、イタリアの画家アルチンボルドによる野菜や果物で構成された肖像画「四季・夏」には、こんな絵画があるのかと驚かされた。後年、オーストリアの首都ウイーンにある「美術史美術館」で実物を観た時は、その色彩の美しさに奇矯な印象が何処ぞに飛んでいってしまったのも懐かしい思い出だ。

ジグソーの切り抜きをデザインした「ジグソーのジグソーパズル」は何処かで買えないものかと望み、「とまらないコマ」を街中で偶然見つけて喜び、逆さまにすると凹凸の認識が変わる「月の表面の写真」や「隠し絵カレンダー」をコピーして友人を楽しませ、図形パズル「タングラム」やウラジミール・コズィアキンやグレッグ・ブライトの「迷路」の楽しみの紹介を通して「遊びの博物誌」は、確かに、幾つもの未知の世界の扉を開けてくれて、今も僕の本棚の中で輝いている。


エッシャーの「無限階段」と「無限音階」のレコード
「ペタクタ・帯カラクリ」の記事
菅原茂氏の傑作マジック「シースルーカード」
「消える妖精」
「消えるマス目」
隠し絵「ルビンの壺」
「アナモルフォーシス・さや絵」
直線が感じられない「錯視」
エッシャー「メタモルフォーゼ」
歌川国芳「みかけはこわいがとんだいいひとだ」
アルチンボルド「四季・夏」
「ジグソーのジグソーパズル」
見る方向によって凹凸が変わる「月の表面の写真」
「隠し絵カレンダー」

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