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No.227 ふるさと情景雑記帳(2)実家にやって来た「コックリさん」

No.227 ふるさと情景雑記帳(2)実家にやって来た「コックリさん」

(2年前に書いた記事を大幅に書き直しました)

母ユウ子から、あの不思議な話をどんな経緯で聞き始めたのか、はっきりとは覚えていない。何せ、話を聞いたのは僕が小学3年生のころ、あの時から五十数年の時を刻んでしまった。しかし、今は亡き母ユウ子の少し遠くを見つめるような眼差しも、淡々とした口調も、話を聞いた場所、無闇に広い旧家の茶の間の様子も、不思議な話の記憶と共にくっきりと僕の中に焼き付いている。

話は少しずれる。昨年より、江戸時代の中期より酒造業を営んでいた福島県いわき市の実家「磐崎屋」のことや、両親と親戚のことを調べ始め、あまりにも自分の知らないことが多かったことに愕然とした。

母ユウ子に兄弟がたくさんいることを聞いてはいたが、十二人きょうだいだとは知らず、今回の調査で、初めて聞く両親の親戚の名前も多く、いかに自分が両親のことを知らなかったか思い知らされた。自分もまた、故人に対して多くの人が持つ「もっと聞いておけば良かった」思いに駆られることとなってしまった。

何の根拠もなく、父武と母ユウ子は第二次世界大戦開戦の前に結婚をしたと思っていた。結婚後すぐには子どもに恵まれなかったとの話からそのように判断していた。

だが、実際に武とユウ子が結婚したのは1944年3月、終戦を迎えるわずか1年5か月前だったことは驚きだった。武は32歳、ユウ子は25歳になっていて、当時としては決して早い婚期とは言えなかった。父の実家は福島県相馬郡鹿島町(現・南相馬市)で、同じように酒造業を営んでいた。こちらも兄弟の多かった父武は、いわゆる「婿養子」として「磐崎屋」にきた。

早くに夫小野四郎に先だたれた祖母しげは、四郎の実母、僕の曽祖母タツと共に「磐崎屋」を女手で支えていた。1944年3月当時、二人は、連戦連勝の大本営発表の戦局情報を信じて、30歳を超えた武に召集令状「赤紙」は来ないと、楽観していた節がある。しかし、武に「赤紙」は届いた。

大本営発表とは裏腹に、日本軍は敗戦への足取りを早め、兵士不足に陥り、召集令状対象年齢を広げたのだった。武が赤紙に従い、二等兵として中国の戦地に向かったのは、結婚式を挙げて間もなくだったことになるのだが、正確な日付は分かっていない。

翌年1945年8月15日に終戦を迎えた時点とその一月後にも、武の安否は分からなかった。いつの時代からなのだろう、日本に巣食う「家」の慣習に囚われていたとも言える曽祖母タツや祖母しげは、長く男手を欠いていた「磐崎屋」にやって来た新たな「家長」を失ったかも知れなかった。人生の伴侶をすぐに国家に奪われたユウ子はどんな心持ちで日々を送ったのだろう。

そんな折、祖母のしげが何処かから、巷で流行っていたコックリさんの話を聞いてきた。コックリさん、狐さん「コ」と、狗(犬)さん「ク」と、狸さん「リ」さんの霊である。戦後の混乱と不安が続いてた時期だ、神様や霊媒にすがった人々も多かった。本来、神仏や霊的な力を無闇に信じることは無いタツ、しげ、ユウ子3人であったが、コックリさんの力を借り、武の安否をお尋ねしてみようということになった。

4歳年上の僕の兄もまだこの世に生を受けていない1945年9月末「磐崎屋」で、曽祖母タツ78歳、祖母しげ59歳、僕の母26歳のユウ子は、コックリさんをお迎えする準備を進めた。大きめの紙に、あいうえお50音、がぎぐげご・ちゃちゅちょなど、1・2・3…の数字と神社の印も書いた。机の上にこの紙を広げ置く。お箸三本、上部を紐で縛り、三脚のようにする。お箸の三脚を紙の上に置く。この三脚を向かい合った二人が、それぞれの両手で包み込むように握る。コックリさんがお越しになると、三脚を動かし、一つの箸の先が、紙の上に書かれた文字を指し示す。次々と指し示していく文字が意味あるものとなる。コックリさんのお告げということである。

庭には日が差していた。女三人、庭にあった小さな祠(ほこら)にお祈りし、茶の間に戻る。コックリさんの霊が入りやすいように、窓を少し開ける。三人はそれぞれ、両の手を合わせお祈りする。「コックリさん、コックリさん、どうぞいらしてください」祖母しげとユウ子が向かい合って座り、お箸の三脚上部を、二人の両手で包むように握る。曽祖母タツは隣でまんじりもせず見つめる。タツは、コックリさんのお音葉、箸が指し示していく文字を確認する役目だ。

再び、心をこめ問いかける「コックリさん、コックリさん、どうぞいらしてください」秋を思わせる風が、少しだけ開けた引き戸の窓から入り込む。そのとき、しげとユウ子の手が動き始めた。少しだけ動く。少しずつ、少しづつ動きが大きくなる。自分の意思ではない動きだ。ユウ子が「しげお母さん、何しているの。手を動かさないで」と言う。しげが言い返す「ユウ子でしょう。やめてよ、動かすのは」ユウ子は、不思議と驚くことはなかった。ぞっともせずに、ただこの動きに身を委ねるしかなかった。ああ、コックリさんいらしてくれたんだ。

三人とコックリさんの霊が繋がる。初めにお聞きしなければならない。タツがお尋ねする「コックリさんはお狐さんですか、お狗(いぬ)さんですか、お狸さんですか」聞くと、しげとユウ子二人がつかんでいるお箸の三脚が動き、三本のうちの二本が浮き上がり、残りの一本が紙上の「わ」を指す。続けて別の一本が「た」を指す。お言葉を紡(つむ)いでゆく。「わ・た・し・は・た・ぬ・き・で」最後に「ちゅ」を指した。続けてお聞きする「おいくつですか」お箸の三脚が返答する。「み・っ・つ・で」「ちゅ」。まだ幼いおたぬきさんは、語尾の「す」が言えず「ちゅ」になってしまう。

おたぬきさんの霊との会話は続く。曽祖母タツが、以前親戚に起こった話などを聞くと全て答え、合っている。ただ、南方太平洋上の島パラオで戦死した親戚の一人の事を尋ねると「う・く・ら・い・な」と答える。「ウクライナ」地名?どこにあるのだろう?再び、同じ質問をすると、同じく「う・く・ら・い・な」と答えた。この時、ユウ子含め三人とも、ウクライナが地名であることも知らなかった。ウクライナは旧ソビエト連邦の一つだ。この親戚が、南の島から何らかの形で、北方の地に連れて行かれ亡くなったのかどうかを知る術(すべ)は、無い。

一番大事な事を聞く時がきた。曽祖母タツが息を飲み、お尋ねする。聞いてよいものか。「武さんは生きていますか。無事ですか」緊張という空気が走る。しげもユウ子も力を入れてはいけないと思いながら、コックリさんの霊の導きの力に委ねる。箸の先が「い」を指す、おたぬきさんが「い」と言う。次に「き」を指す、「き」と言う。「て」が続く、「ま」が続く。最後に「ちゅ」とおっしゃった。「い・き・て・ま・ちゅ」女3人の安堵の息が重なる。

いつ帰って来ますか。「11が・ちゅ・12・に・ちゅ・で・ちゅ」11月12日、11月12日に武が帰ってくる。おたぬきさんにお礼の言葉をかける。「ありがとうございました」このとき、ユウ子が肌に感じた風は、おたぬきさんがお戻りになるために、窓に向かうときに起きた風であったか。10分程度であったか、短いとも言える、されど長い時(とき)が刻まれていた。

戦後の目まぐるしい生活の中で「11が・ちゅ・12・に・ちゅ」が、近づいてくる。ユウ子をはじめ、タツもしげも武が生きていることを信じようとしていた心持ちから、生きていると安心に近い気持ちを持った。武は、必ず、帰ってくる。そう信じると、なぜかコックリさんが言ってくださった日にち、11月12日を忘れがちになったと、後に母ユウ子は述懐してくれた。

11月12日がやってきた。誰もが多忙な戦後の日常の中、ユウ子はこの日用事があり、混雑の常磐線上り電車に乗り、東京を経て静岡へと向かう。道中、少し気にはなったが、コックリさんが告げてくれた予言の言葉11月12日の帰宅を盲目的に信じてはいなかった。常磐線上りの終点上野に着いたときは電車の遅れで、夕刻になっていた。今日中に静岡に着けるだろうか?

福島の実家「磐崎屋」にも同じように時は流れる。タツとしげは早い時刻に夕飯を済ませた。陽は傾いていき、やがて西の空に沈んだ。陽光と交代するように満月に近い月が、東の空に浮かび、優しい夜空を作り始める。夜の7時頃であったか、曽祖母と祖母は夕餉(ゆうげ)の洗い物をしながら、どちらともなく言葉をかける。「コックリさんの言うことは外れたねえ〜」二人は床につく。武は生きているのだろうか?

母屋から少し離れたところに、幅3メートルほどくらいか、両開きの門があった。門の隣に、人一人が通れるくらいの大きさの「くぐり戸」も備え付けられていた。眠りについていたタツとしげに向けたような音が、門の方から出ている。ドンドンドンドン。曽祖母タツが何事かと目を覚まし、隣に眠る祖母シゲを起こす。ドンドンドンドン、自然に存在する音ではなく、何らかの意思を持った音だ。

枕元の明かりを点け、時計を見る。まもなく「11が・ちゅ・12・に・ちゅ」が終わる時間だ。長袖のうわっ張りを身につけ、タツが起き上がる。しげが心配そうに半身を起こしていた。タツがささやく「大丈夫だよ。わたしが見てくるよ。待っていなさい」気丈なものだ、ドンドンドンドン、音がなり続く門へと向かう。

「はいはい、はいはい、お待ちください。どちら様でしょう」。くぐり戸の向こうから返ってくる、か細い声「武です」「あらー!武さん!」驚いたタツがくぐり戸を開けると・・。

そこには、痩せ細った男が立っていた。…武ではない…幽霊か…男の足はある。タツの顔に驚きの表情が浮かんだのであろう。男は「武です」再び答える。タツは、月が照らす薄明かりの中で、目を凝らす。男は幽霊ではない、他人でもなかった。痩せ細って顔の輪郭が削られ、面影が変わった武だった。ボロボロの兵隊服を着て、両肩にカーキ色のナップザックを背負った武だった。戦争の小さい、されど大きな傷痕の一つを身につけてしまった武は、コックリさんが告げた「11が・ちゅ・12・に・ちゅ」が終わりを告げる直前に帰宅したのだった。

戦後すぐのことだ、ユウ子がいるであろう静岡の知り合いのところに電話はない。すぐに電報を打つか。タツとしげは迷った。夜中ではあるが、まず渋谷に住む武の姉のテツ叔母さんには連絡がとれる。電話を入れると、受話器の向こうでテツ叔母さんが答えた「ユウ子さん、ここにいるよ」。混乱で静岡に行けなかったユウ子は、テツ叔母を頼って、渋谷に寄らざるを得なかったのだ。ユウ子が翌朝の常磐線一番列車に乗り、福島県磐城市(旧名)泉駅に降り立ったことは言うまでもない。

「あれは不思議だったね」母ユウ子が続ける。「やっぱり必死だったんだろうね。幽霊とかお化けとか、昔から信じていなかったけれど、これから起こることが当たったんだからねえ〜」。お茶をすすりながら、母ユウ子は言った。「ああ〜、戦争はいやだ、いやだ」。

母ユウ子の入れるお茶は絶品だ。この日も、いつものように湯冷ましをして淹れたお茶を、代々伝わる急須で、僕が好きだった相馬焼の湯呑み茶碗に、優しく注いでくれた。柔らかい湯気が懐かしい。


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