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No.130 「謎の岡本太郎」に驚かされた話
No.130「謎の岡本太郎」に驚かされた話
目の前の「岡本太郎」が、ギクシャクした動きで、手にしていた絵筆で自分の顔に絵の具を、無言で、乱暴に塗り付けたのだ。なんだ、これは〜!
1996年84歳で亡くなった岡本太郎は、最も知られた芸術家の一人であろう。大阪万国博覧会の象徴的作品「太陽の塔」に代表される力強い絵画や彫刻で知られる。第五福竜丸(No.087)の被曝をテーマにした巨大壁画「明日の神話」は、渋谷駅内の通路で鑑賞できる。
東京都港区青山にある「岡本太郎記念館」は、生前の岡本太郎のアトリエ兼住居だった場所である。僕の年上の友人五代美子さん(No.050)は、以前この岡本家の向かいのお宅にお住まいで「太郎さん、夜中によく酔っ払って帰ってくるのよ」とのご近所さんならではのエピソードに、奔放なイメージのあった岡本太郎が思い浮かび、さもありなんと笑った。
住居を改装して公開している「岡本太郎記念館」は、太郎の芸術の発火点となったであろうアトリエをはじめ、小さな庭に所狭しと置かれている彫刻群、リビングには特徴ある椅子などに囲まれて、あのギョロリとした目を見開き、両手を広げたポーズで立っている岡本太郎の等身大人形など、ユニークな展示で興味をそそる。入り口左手にある小さなカフェも居心地がいいし、太郎のデザインによるハガキや日用品も購入できる。
僕も気の向いた時に、骨董通りと呼ばれる青山の辺りをウィンドウショッピングをして、通りから少しだけ入った岡本太郎記念館にふらりと立ち寄り、カフェでのお茶とケーキ、太郎の作品群を楽しむ。都内にいくつかある僕の隠れ家の一つである。
10年ほど前のことになる。午後2時くらいだったか、何か時間が空いて「岡本太郎記念館」に一人足を向けた。たまたま「太郎賞受賞者特別展」が開催されており、通常の展示と若干違っていた。
いつものように、一階入り口で靴を脱ぎ、グッズ販売を兼ねた左側の売り場で、チケットを購入する。一階かつてのリビングの展示室に入ると、いつものようにジャケット姿にネクタイの「手を挙げた等身大の岡本太郎の人形」が、いつものようにギョロリと目を見開き立っていて、笑ってしまう。
一階を見た後に、二階へと向かう。カフェには人がいたが、展示室には僕だけであったので、自分の足音も気になるくらい、岡本太郎の爆発には似合わないような静寂の空間だった。やや古めの二階への階段もゆっくりと足を運んだ。
二階の奥の部屋に向かうと、特別展示なのであろうか、部屋の真ん中辺りに大きなガラス戸が置かれていて、その前に一階リビングにあるものと同じような「手を挙げた等身大の岡本太郎の人形」がガラス戸に向かい、僕には背中を見せて立っていた。一階の人形と違うのは、こちらの人形が油絵の具で汚れたつなぎ服を着ているところだった。
広くはない部屋に入ると、一瞬状況が把握できなかった。ガラス戸に向かい立っているつなぎ服の岡本太郎の人形の像が、ガラスに映り反射している。ガラス戸の向こうに同じ形の「油絵の具で汚れたつなぎ服を着た岡本太郎」が立っている。ガラスに映る像とガラスの向こう側の「岡本太郎」が重なっているように見える錯視状態だった。実際はガラス戸を挟み、二体の「岡本太郎」が目を見開き向かいあって立っていた。
凝った展示だなあと思って、ガラスのこちら側の「岡本太郎」を何となく見る。と、ガラス向こう側の「岡本太郎」の手が一瞬動いたような気がした。うん、動いた?じっと見ると動いていない。錯覚か、と思いもう一度見ると、右手が確かに上に動いた。
え、糸か何かをどこかから引いているのか?天井や横に目を移しても、何かが引いているようではない。すると今度は、右手と上半身が機械仕掛けのように後ろに動いた。これは人形?いや、人間?すると・・・人生の中でも、最も奇妙な動きにドッキリさせられた。
目の前の「岡本太郎」が、ギクシャクした動きで、手にしていた絵筆で自分の顔に絵の具を、無言で、乱暴に塗り付けたのだ。なんだ、これは〜!続けて、体をギクシャクと動かすと絵筆が手から落ちた。側に置いてあった絵の具箱の絵の具を右手につけて、顔に塗りつける。2度3度と繰り返すと顔は不気味な極彩色になり、ピタッと動きが止まった。
は、電気か何かが切れたのか?目を凝らしても、ガラスの向こう側の「岡本太郎」はピクリともしない。薄暗い部屋に僕一人、ガラスのこちら側、隣に「岡本太郎」の人形、ガラスの向こう側に人形か人か分からない「もの」がある。実に奇妙キテレツな時が流れたものだ。
ガラスの向こうの「岡本太郎」はもう動かない。部屋を後退りするようにして出る。振り返って見ても、右手を絵の具だらけの顔の近くにしたまま留まっている。たった今、目にしたものの奇妙さを胸に階段を降り、一階の受け付けの女性に尋ねてみた。
「いや〜、ビックリしました。二階の『あれ』何ですか。人形ですか?人ですか?」
受付の女性の笑顔での答えが奮っていて、笑ってしまった。
「岡本太郎さんですよ」
「ははは〜、いや、やられました。まだ生きていましたか〜」
「ええ〜、彼女凄いですよね」
はっ?彼女?
聞くと、ガラス戸の向こうの岡本太郎の正体は、岡本太郎賞を受賞した女性だとのことだった。今回は岡本太郎のお面をつけて、人形と見せかけたり、絵の具を顔に塗ったりするパントマイムで来場者を驚かせていたという訳であった。
今回の記事を書くにあたり「岡本太郎記念館」に電話をして、驚愕のパフォーマンスで僕を楽しく驚かせてくれた女性の名前を尋ねた。「若木くるみ」さんと言い、第12回岡本太郎現代芸術賞展で岡本太郎賞を受賞した女性だとのことだった。ネットで検索すると、後頭部の毛髪を剃り、そこに顔などを描き話題になった女性で、今はマラソンの長尺版スパルタスロンなどにも挑戦する芸術家であった。
マルセル・マルソー(No.041)田中泯(No.089)に続き、どうもパンタマイム系には驚かされている。若木くるみの、あの「謎の岡本太郎」のパフォーマンスは、是非もう一度観たいものだと長く心にとどまっている。
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リビングの展示室・中央左に「岡本太郎の人形」がある。
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「岡本太郎記念館」HPの写真より転用させていただきました。
人形の配置と数など、僕が実際に見たものと少し違っています。