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「埃くらいで死なない」とは言うけれど

よく聞くけど、
でもじゃあ嫌いな掃除をさぼってみたところで「ちょっと掃除しなくたってなんてことないじゃん!もっと手を抜いていこ〜!ハッピ〜!」には、私はなれないんですよね‥‥。

埃や汚れを見るたびに不快になるし。
なんかさぼってる自分を責めちゃうし。
やっぱり私ってダメだよなーとか思っちゃうし。

“掃除する”のも嫌だけど
“さぼってる自分、汚い部屋”の方がもっともっともっともっともっと嫌。
はい、行き詰まる。

「掃除をさぼる自分」を受け入れられないと意味がないんだろうな。

「さぼってる」という感覚をなくさないと意味がないんだろうな。

掃除する自分もしない自分も価値は変わらないって腹落ちしてないと意味がないんだろうな。

‥‥謎思考へ突入してぐるぐる。


私は家事全般全く好きではないけど、手作りのごはんを食べたいし、きれいな部屋で暮らしたいし、手入れされた服を着たい。

だから料理する、掃除する、洗濯する。やってる自分に満足する。

満足できる自分でいたいから、料理、掃除、洗濯する余裕のある環境にいさせて欲しい。

そもそもやりたくないことなのに、余裕ない中やるなんて無理なんだよなあ。イライラするんだよなあ。だからといって、やってない自分には落胆してしまうから、やらざるを得ないんだよなあ。

旦那が全部やってくれたとして(あり得ないけど)最高に快適に暮らせるようになったとしても、「ああ、人に全部やらせてる私って最低‥‥」って思うのが目に見えている。

今日もぐるぐるぐるぐる、「がんばらない」ってどういうことなのか考えております(笑)研究は続く‥‥

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