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社会人になってから(2020年4月から2021年8月1日今日現在までの計16ヶ月間で)、読了した本の数がちょうど100冊に到達した。
産業主義の生命活動の中で、無下に消費されゆく己への悲哀の念。そこからのほぼ唯一と言って良い現実逃避が、こうして本を読み、思ったことを綴り落としてゆく活動なのである。

流石に100冊も本を読めば思想も変わる。(いや、しかしそれはそうあって欲しいという思い込みによるものであるかもしれないが。)
今回は、思考の変遷の軌跡を辿っていきたい。

本の管理は基本的にこのアプリだけで行っている。

読んだ本、読んでいる本、読みたい本を検索なり、バーコード読み取りなどで登録していく仕組みだ。2020年11月末頃から読了後に感想というか、メモを登録している。本を読んだ後に、他の人の感想も簡単に目を通すようにしているのだが、次第に「あのことについて書いてる人おらんなあ…」と自分のフィーリングを言葉にしてくれている人が非常に少ないことに気づきはじめた。ならば、と思い感想はつけるようにしている。まさに解釈は人それぞれであって良いということを実感する瞬間である。

では、本題へ。(今回は普段の倍ほどの文章量か。よければ最後までお付き合いください。)

社会人になって初めて読了した本。どこからか分岐してきた世界線を生きていることを確かに感じさせる読了記録である。
この頃は、『ホモ・デウス』とか『銃・病原菌・鉄』を読んだ余韻で知識を求めて本を読んでいたように感じる。そのせいか、新書の読了記録が割合多めである。

そして、この頃は新入社員らしく成長意欲に突き動かされ、仕事や会社にまつわるテーマの本を意識的に探して読んでいたようである。

(ものづくりや、会社ルーツに関連して幕末‐明治維新など)

ここまでで読んだ本を芋づる式読書マップにまとめて、ツイートしたものが想像以上にいいねがついて、ようやく読書が趣味と言えるなと思ったのもこの頃。

そして、8月。

福沢諭吉に出会う。
有名という理由だけで読んだのだが、かつて生まれながらにして身分を分けられていた日本人の惑溺へ警鐘を鳴らしたこの一冊は、まさにペンは剣よりも強しを地で行く生き方があってもいいことに気づかせてくれた。
この頃、劇的な出会いは続く。

「何が書かれているか?」よりも「誰が書いたか?」に目が向き始める。歴史に名を残す人物の息遣いを感じられるのは、やはり読書活動に与えられた特権である。彼らの考えはもちろんのこと、その時代背景までも生々しく感じることができる。

明治‐大正にかけて量子力学が花開いていくところや、技術者・科学者の目線から見た第二次世界大戦などはかなり興味深いテーマとなっていく。


年は変わって1月。このあたりまでしばらく、仕事関連のテーマ探しは続いていたようである。

しかし、次第に仕事に対してやりがいとやりにくさ、ある種の矛盾を感じ始めている。

あと、まだ物理学や科学を絶対視しているあたりは私の思考軌跡上で重要なプロットである。

続いて2月。最も重要な出会いを果たす。

マイケル・サンデル。自由と正義を考えれば、それは自ずと哲学に通ずる道である。このときの興奮は、抑えきることができずnoteにもまとめている。

哲学は読書生活のきっかけといえるほどのものであったが、ここまでで通読した(解説本でない)哲学書はほとんどなかった。デカルト『方法序説』くらいであっただろうか。この時は自由について考える素地を作り上げ、カントに挑んだ。

また、どうやらこのあたりで技術に対する興味は収束し、科学哲学という新しいテーマを発見し追求を始めている。これまで興味のあった量子力学のルーツに近づくテーマであり、先の物理学の絶対性が、哲学的自由の理解が深まっていくのと反比例して相対化されていく過程が面白い。

そして、ついに3月。読書会に参加し始め、本の感想を本好きの人たちと語らうという経験を得る。ここでもまた本の趣味・嗜好は多様であることを実感すると同時に、自分の嗜好を深掘りする重要性に気づいた。また、本との出会い方も、本屋での偶然の出会いから、人のおすすめ・参考文献を辿っていく出会い方がウェイトを占めるようになっていく。

読書会の参加者の方が紹介していた本。
特に、ハンナ・アレントは、仕事に対する矛盾感と相まって、かなり刺さるものがあった。

参考文献関連では、
アインシュタイン
ウィンストン・チャーチル
ハイゼンベルグ
ゲーテ…

こうして私の思考・読書的興味のベクトルは実用から哲学へ、その軌跡を描いている。1800年代から1900年代前半にかけての人類の思想変容が科学哲学、量子力学、産業化社会など現代を形作るものであることが見えてきた。そしてこの視座は、産業社会に対するアンチテーゼとして文学的価値・芸術的価値を次なるテーマとして私に投げかける。

果たして、思想的自由の風は私をどこへ連れていくのだろうか。

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