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哲学の散歩道

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記事一覧

Gakumonn no Todome

知識は罪だ。
神の言いつけを破って手にしたものだからだ。
知識は罪だ。
プロメテウスの不正を見なかったことにするのか?
知識は罪だ。
ナツーラのベールを強引にも引き剥がそうとするからだ。
知識は罪だ。
夕暮れになるまでその御使いを空に放つのをもったいぶるからだ。
知識は罪だ。
決して壊れることのない美しい永遠の世界への空想を駆り立てるからだ。

知識は罪だ。
実践的であればあるほどそれは役に立って

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Entwurf

哲学とは畢竟、肯定でなければならない。

私はここで私の哲学の指針を述べるつもりである。
そしてこれはある切迫した問題を解決したいと望む故に行う一種の原理探求なのである。
これはいわば私にとってのプロレゴメナ(序論)となろう。

切迫した問題とはなにか?なぜ今プロレゴメナなのか?私の切迫した問題とは資本主義の問題である。
資本主義は、人間の究極の平等化をもたらし、
国家間の普遍闘争のゲームを抑制す

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Also bin ich.

「在る」とはなんだろうか。
それは目に見えるということを指すのだろうか。
それは手に触れられるということを指すのだろうか。
もし、目に見え、手に触れられるものだけが絶対なのであれば、客観的実在を足がかりにしている科学に対して背徳を示す必要もない。
科学とは人類史上最も成功した思考様式であり、それが社会にもたらした恩恵は計り知れない。危機に瀕した世界は真っ先に彼女(Wissenschaft)に救いを

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Blessing

Blessing

潮騒は轟音となって響く。
緑から藍にそして、青から白にグラデートしていく海と空が交わる一直線の水平線に浮かぶ一隻の船を見つめる。
波はうねり、テトラポッドにぶつかっては、飛沫を散らす。
海面に拭き晒す風が強制力となって重い重い水塊を持ち上げては、重力ポテンシャルの隙間にゆっくりと手を離しているのだ。

私は神による創造というものを安く考えすぎてしまっていたようだ。この広く深い太平洋、これを覆う想像

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Chiramise #2

本稿は2023年9月10日文学フリマ大阪の出品作品『「自己とは何か」をめぐる諸考察』からの抜粋です。本作について詳しくは以前の投稿をご参照ください。

 こうして我々は、自己意識の運動を経て精神つまりは社会的共同体を形成しうる自我に到達することができた。ヘーゲルに言わせれば、「人類の歴史はフランス革命において完結した」。つまり彼の哲学は、近代の哲学の一つの結論である。では、歴史が一度完結されたのち

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Schönheit

わたしは生きることを通じて世界を経験する。
生が美しいとは、経験の世界に美が満ちているということである。
一方、美は相対的ゆえ美しいもので満たされた世界は何ものをも美とすることはできず、美の表徴たる芸術も存在しえない。

ここに矛盾が生じる。
我々は世界を美しいもので満たすことを望む一方で、十分に美しい世界においては芸術を見出すことができない。
このような世界を我々は望むだろうか。
ゆえにこう問わ

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Zakkann

アラヤ識。水槽を満たす可能性の総体としての言葉。その流体は連続体は現実界への顕現を待つ。

存在は時間のうちに現成する。つまり、存在とは時間そのものに他ならない。では時間とは何か。それは直線的な連続体であろうか。すなわち、過去と現在と未来とが、順に流れ行くような連続体であろうか。

我々は過去を思うとき、決してそれが在ったと考えてはならない。過去は物自体である。「過去があった」のは今この瞬間に私に

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