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読書の記録のようなもの

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200

2021年8月、社会人になってから読んだ本の冊数が100冊に達したことにワクワクしてnoteを投稿したことがありました。

それから19カ月、さらに100冊の読了本が増え、気がつけば計200冊を突破していました。

ええ、わかっています。読書は数で評価するものではないですし、200冊分の全てを理解しこの頭の中に叩き込むことができているわけではないことも。(そして何より古典的・芸術的な面で種々の価値

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100

社会人になってから(2020年4月から2021年8月1日今日現在までの計16ヶ月間で)、読了した本の数がちょうど100冊に到達した。
産業主義の生命活動の中で、無下に消費されゆく己への悲哀の念。そこからのほぼ唯一と言って良い現実逃避が、こうして本を読み、思ったことを綴り落としてゆく活動なのである。

流石に100冊も本を読めば思想も変わる。(いや、しかしそれはそうあって欲しいという思い込みによるも

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MEMO_『差異と反復』

 哲学、文学、精神分析などの人文学にとどまらず、数学、物理学、生物学などの分野からも種々のモチーフを持ち込む。そして、私を混迷に陥れるのが、ジル・ドゥルーズの『差異と反復』という書物である。

 河出文庫で2巻。ご覧の呟きのとおり既に終章に入るが一向に話が見えてこない。あまりにも癪なので、もう一度頭から読み直すことにする。本書に限らず、咀嚼できず、消化不良の感が残る本は多々ある。普段なら、そういう

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MEMO_『百年の孤独』

本日、2024年6月8日、RENSさんの『百年の孤独』読書会に参加してきました。

実は、『百年の孤独』が文庫化されるらしいとの噂は昨年末から立っており以下ツイートはそれに対する反応です(今月末いよいよ発売です)。こうして読む覚悟を決めていたところに、上の読書会の案内が舞い込み、文庫化を待たずして思い切って読んで参加することにした次第です。

ちなみに上のツイートの「文学講義の本」とは以下のもので

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Kusa no Hana

汐見茂思という男は果たして赦されたのだろうか。

彼は生涯、信じることを拒んだ。

そう、キェルケゴールの定義によれば「絶望して強情にも自己自身であろう」とした汐見のそれは罪なのである。
しかし、汐見は罪人だったのだろうか。
私にはそうは感じられないのである。
Kosmopolites(コスモポリテース)な観念をもって戦争の加担者と成り果てることにあれほどまでの嫌悪感を抱いていたあの彼が?
もし彼

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Homo lectio

読むとはなんだろうか。
読んで手に入るもの、例えば知識というものを考えてみよう。
知識とはある「知られるべきもの」が「知る者」と一体化を果たすときに獲得されるものである。
つまり主体としての知るものと対象としての知られるものとの関係によって「知る」ということは定義される。
なるほど、読むということにおいてもこの関係は保存されるに違いない。
読むのはこの私である、そしてこの私が読まれるものとのある関

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Frühling

まだ微睡の残る視界を湛えて、休息日の窓を開ける。

眼前にあるのは見慣れたはずの小さな庭。
しかし、若葉を透かす朝日が遠慮がちに差し込むその庭は、ボッティチェリの常春の庭園を思わせる密やかな楽園であった。

春の歌 愛と希望より前に響く

待ちわびた季節を祝福するように、
鼻歌を口ずさむ花の女神フローラが、花壇を飾るムスカリとスイセンを愛でる。

私だけのささやかな朝のひとときを彩るように、やがて

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Katsudouteki Jiritsu

 ハンナ・アレントは『人間の条件』で人間の活動的生活における3つの条件を取り上げた。
1.労働:生命維持活動としての生産性の提供とその消費。
2.仕事:工作人として世界へ永続性・耐久性を提供していくこと。
3.活動:人間として多数性を持つ公的領域へ自身の正体を暴露していくこと。
https://bookmeter.com/books/569162

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 現代社会において,上記3つの条件の

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