ヴィヴィアン・ウエストウッドから学んだそのキャリアの作り方。
年末に悲しいニュースがロンドンから届いた。英国のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が、現地時間の12月29日、南ロンドンのクラパム (Clapham)で家族に囲まれながら亡くなったのだ。81歳だった。
言わずと知れた「パンクの女王」ヴィヴィアン・ウエストウッド。ファッションにあまり興味がなくても土星のような球体の上に、十字のモニュメントらしきものが乗ったロゴマークのブランドをご存じの方もきっと多いことだろう。
ヴィヴィアンは、2番目のパートナーとなるマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)と出会い、ロンドンのキングズ・ロードで71年に「レット・イット・ロック(Let it Rock)」という店を開いた。
その後、店を「SEX」という名に変更した時に、マルコムが店に出入りしていた不良少年たちのバンドに介入し、彼がマネージャーとなり新メンバーを加入させ「セックス・ピストルズ(Sex Pistols)」という名前をつけた。
後に誰もが知る存在になるこのバンドのメンバーはヴィヴィアンが手がけた前衛的なスタイルの服を着てステージに立ち、そのファッションは音楽と共に若者達の支持を得て1970年代後半の「パンク」ムーブメントを巻き起こし、後世のミュージック・シーンやファッション界にも多大な影響を与えた。
セックス・ピストルズが解散し、マルコムと別れた後もヴィヴィアンはキングズ・ロード430番地の店を、今でもパンクの聖地として現存する「ワールズ・エンド(Worlds End)」という名で再オープンさせ、自身の名を冠したレーベル「ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)」でパリコレにも進出し、ファッションデザイナーとして生涯現役で活躍したほか、自らが「ファッションアイコン」としての顔も持ち合わせ、常に挑発的なスタイルで登場し皆を驚かせた。晩年には政治や環境問題に対するレジスタンス活動にも力を入れた。
生涯「パンク」な人生を貫いたばかりでなく、その存在自体が英国のファッションアイコンそのものだったヴィヴィアン。ちょっと意外だがデザイナーになる前は小学校の美術の先生だった。マルコム・マクラーレンと共にロンドンのキングズ・ロードにお店を開いたのは30歳、パリコレデビューは40過ぎと決してデザイナーとしての王道とはいえない彼女の遅咲きのサクセスストーリーは、あまりパッとしないギリギリの学生生活を送っていた私にもまだチャンスがあるのではないかという希望を与え、その後のキャリアを築く上でのお手本のひとつとなった。
私が20代、文化服装学院卒業時にデザイナーとしての就活でことごとくつまづいた時に、なんとしてもファッションデザイナーになりたかった私は彼女の経歴を参考に、少し遠回りすることにしたのだ。
小さい頃は小学校の先生になりたかった私は、文化服装学院の連鎖校である仙台のファッション専門学校で教員を探しているということを知り、まずはそちらに就職して社会人として経験を積んだ後に、デザイナーとしての経験を新たに積もうと考えた。
幸いなことに担任の先生や、美術の先生が推薦してくださったお陰で無事に就職することができ、教員として働きながらフランス語の学校に行き、国内外のファッションデザインコンテストに参戦して賞をいただきながら、少しずつ準備していった。
意志が固くなければ王道に戻れない「リスク」はあった。でも私も教員生活を経て、30過ぎてからデザイナーとしてパリ、そして44歳でシニアデザインディレクターとしてニューヨークのブランドで活動することが出来た。ヴィヴィアンは「まわり道」をしても信念を貫けばきっと夢は叶えられる、と私に教えてくれた人だ。
人より時間はかかったが、服飾専門学校で教えるために人体や服の構造、パターンの作り方や縫製の仕方を学生時代よりさらに深く勉強したおかげで、パリのラグジュアリーブランドでデザイナーとして働くためのかなり強力な「武器」となった。
「ファッションデザイナーになるためにはどんな学校に行ったほうがいいのか。」とか「海外でチャレンジしてみたいけど方法分からない。」といった質問を受けることがある。もちろんこれぞ、という王道はあるにはあるが、人それぞれに向き不向きがあり、万人向けに確実にデザイナーになれる近道などはあまりないと思う(もしあったとしたなら是非教えて欲しいです)。
今はインターネットでいろいろなデザイナーの経歴や体験談、インタビューを見つけることが出来るので、それらを参考にしながら、自分なりのキャリアの築き方を研究し、実践してみるのも良いだろう。
もちろん時代はすごいスピードでどんどん変化しているので、先人の体験談など全く参考にならないと思う。でも、その先人が生きた時代にどうしてその経歴で上手くいったのか、その時代背景と共に研究し、今の時代だったらどんな方法が良いのか分析する価値はあると思う。
まわりとちょっと違う生き方でも、自分がやりたいことがあったらそれを信じて、時間をかけてもその信念を貫き通すという「パンク」な人生も悪くないと思う。もしかしたらヴィヴィアンのように時代の先駆者になれるかもしれない。
数年前だったか、パリかNYで彼女の姿を街で見かけて、あっと思ったがプライベートそうだったので声はかけなかった。どうぞ安らかに。
Photo: "God Save The Dame" - Vivienne Westwood Punk Portrait, by Czar Catstick