誰かの為に生きるという本音と建て前。
世の中には『誰かの為に働きたい』が常套句の詐欺師とか寄生人間って結構いるじゃないですか。こいつらの誰かの為は結局自分の為だったりする。
別にそいつらが悪だなんだってめんどくさいことを言うつもりはない。
それに自分が生きる為にどんな理由付けがあろうがいんじゃないとも思う。
まぁ…詐欺って人を騙したりするのはよくねえけどな。
で、肝心の自分はというと…
残念なことに誰かの為に生きることが心地よかったりするんですよ。
ただ、詐欺って金ちょろまかしたり、金を生むなにかに寄生して美味しそうな上澄をすくってちょんちょんなんてことは考えてない。
じゃあ…なぜ誰かの為になのか?
理由は簡単。
自分に興味がないから。
もっと言うとさ、1秒でも早く死にたいんだよね。
今年の初詣も「今年こそ死ねますように」って願ってきたばかり。
正直、この理由って詐欺師や寄生人間より立ち悪いよな。
自分でもよくわかる。
ここでよく言われるのが「本当は死ぬ気なんてないんでしょ」ってやつ。
死ぬ死ぬ詐欺野郎とか死をちらつかせるアーティスト気取野郎なんてね。
半分正解。
死ぬ気はないんだわ。
死にたいんだけど死のうとはしていないんですよ。
要は自殺とかそういうんじゃなくて、
早く寿命きてくんねぇかなって願望なんです。
だって自殺って怖そう痛そう苦しそうじゃないですか。
嫌ですよそんなの。
一応さ…そこそこ大病かましてて痛い苦しいはお腹一杯経験してんのよ。
もうこれ以上の痛い苦しいはご遠慮願いたいんだよね。
まぁ、死ぬときは結局苦しかったり痛かったりするんだろうけどさ。
でもさ、終わりの見えるそういうのってまだ希望なんですよ。
いつまで続くんだろうって終わりの見えない苦痛は絶望だぜ。
これまじな話。
そういう理由があるから自分に興味が持てないのよ。
だから誰かの為にって考えが成立する。
ここまで読んでくれたあんた…物好きだな。
せっかくだからもう少し付き合ってくれ。
ここまでの内容ってやっぱネガティブに見えるのかな。
でもさぁ…意外とポジティブなんですよこれが。
死にたいけどなかなか死なない。
死なないからしょうがなく生きてる。
しょうがなく生きる以上目標は必要なわけでさ…
具体的にはおんなじように病気で苦しんでるやつらがもっと社会で生きやすくならねえかなってことだったり、くじゅう九重・阿蘇小国・日田って地域が好きなんだけど、ここをもっと面白くしたいってことが目標かな。
こういう理由があるからしかたなく生きるを継続してんだと思う。
なんだよ…そこらの愚痴野郎よりよっぽど前向きじゃねえか。
そんなこんなで今日もあーだこーだと地味な作業をコツコツと…
久しぶりに感情的に想いを綴ったのはたぶん…
下だけじゃなく上からの出血が驚くほど多かったからかな。
兆しはいいからとっとと命を奪いに来てくれよ大病さん。
いい加減待ちくたびれたよ。